北方領土問題の論点・1

2016年10月27日

 安倍さん、本気のようですね。2島先行返還で先鞭を付けた鈴木宗男さん、佐藤優さんは、4島一括を叫ぶ右派をはじめ共産党も含む批判のなかで追い落とされたわけですが、その佐藤さんに言わせると(「週刊ポスト」だったか)、2島先行であっても、右派の支持で成り立つ安倍政権なら克服できるとか。まあ、それで解散して自民党が総選挙に勝てる材料になるかどうか分かりませんが、そういう見方も可能だとは思います。

 ということで、北方領土をめぐって、いくつか論じておきます。この問題を考える上では、共産党の政策と比較することで理解しやすくなることも多いので、そういう見地からです。

 共産党は70年代初めまでは、歯舞、色丹については日ソ共同宣言にもとづき返還を実現する、他方、南千島(国後、択捉)は日米安保条約を廃棄することによって展望を拓くという考え方でした。2島先行返還の4島論だったわけです。

 しかし、70年代に徹底的に研究した上で、新しい政策を打ち出します。21世紀になって重要な問題で変更があるのですが(後述)、当時の政策のポイントをまとめると以下の3つになるでしょう。

 1つ。歯舞、色丹は北海道の一部である。確かに、サンフランシスコ平和条約で日本は千島列島を放棄したけれども、歯舞、色丹は放棄した領土ではないので、即時返還すべきだ。
 2つ。サンフランシスコ条約で千島列島(南千島も北千島も)を放棄したこと自体が誤りである。したがって、この条項(2条C項)の廃棄を関係各国に通告し、全千島返還を実現する。
 3つ。千島列島返還まで時間を要するがそれまでソ連との関係が不正常なのは望ましくないので、平和条約は千島返還とセットだが、歯舞、色丹の返還が実現した時点で、平和条約に至る中間的な条約を結ぶ。

 一方、日本政府はどうだったか。当初、日ソ共同宣言を結んだ時点(56年)では、この宣言に歯舞、色丹の引き渡しで平和条約を結ぶと書いているわけですから、宣言の当事者としてそういう態度だったわけです。

 しかし、ご存じのように「ダレスの恫喝」があって、ソ連との関係をこじらせておくことが不可欠だという観点から、態度を変更します。サンフランシスコ条約では千島を放棄すると書いているけれど、そこにいう千島には南千島は含まれておらず、国後、択捉は日本固有の領土なので、歯舞、色丹とともに一括返還を求めるというものでした。サンフランシスコ条約を締約した国際会議で、日本もアメリカも南千島も含めて放棄すると明言しているのに、その前言を翻したわけです。しかも、共産党のように条約のその条項が問題だというのではなく、条約は尊重するというのです。

 率直に言って、これでは北方領土問題は解決しません。そもそも、解決しないことでソ連との関係を緊張させることが目的になってつくられた政策なので、解決するはずもなかったわけです。

 それでも、なぜ「国後、択捉は条約で放棄した千島にあらず」という態度をとったのか。それは「固有の領土」という言い方とも関係するわけですが、歴史的に他の国の領土となったことが一度もないという事実が背景にあったと思います。北千島はソ連(ロシア)の領土だった事実があり、それが千島・樺太交換条約で日本のものになったわけですが、南千島はずっと日本の領土だった(これが「固有の領土」論)というわけです。

 それに加えて、北千島とは異なり、国後、択捉に住んでいた日本人が多かったという現実も大きいと思います。敗戦時には1万7千人も住んでいたわけで、それらの方の望郷の思いに応えることが求められたのではないでしょうか。(続)

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