日米安保の現段階という問題

2016年11月29日

 本日から福島。ここ数日の東京出張の間、ほとんどを日米安保問題の議論に費やした。それを通じて、安保問題の認識の違いということを感じ、考え込んでしまった。

 本日午前にお会いしたのは、日米安保を根底から批判する立場の人である。今、そういう人たちの問題意識は、新安保法制を通じて、安保が決定的に危険な段階に到達し、かつ自衛隊もそれに組み込まれてしまったというものだ。

 確かに、対テロの問題を考えると、トランプ政権下のアメリカがさらに軍事力で制圧する路線を走り、日本を巻き込んでくる可能性はあるだろう。シリアとかアフガンとかで、何もしていないのは日本だけだろう、アメリカだけに任せるのかという圧力をかけて。新安保法制下の安倍政権がそれに屈していくことは目に見える。

 一方、日本周辺の問題を考えると、別のことが見えてくる。中国とか北朝鮮とかのことを考えると、アメリカが危険な道を進んで日本が巻き込まれると心配する人は、おそらくほとんど存在しない。どちらかといえば、北朝鮮が暴走した時とか、中国が拡張主義的にやってきた時、アメリカが何か助けてくれるだろうかという思いで見ている人が多いのだと思う。

 さらに、日米軍事一体化という視点で見ていると、そこにしか目がいかないけれども、日米安保の全体像は、そこからだけでは論じられない。トランプさんがアメリカの国益第一を貫く場合、中国との協調路線に踏み切る可能性は小さくない。ましてや尖閣問題でアメリカが中国と軍事的にことを構えることは想定できない。そういう場合、もはや日米関係を「同盟」と表現できるのかが怪しくなる。

 あるいは、日本が軍事的役割を増大させることについて、反対派はそれをアメリカ従属下の「一体化」として危険視するが、賛成派はそれを日本の自立につながると評価し、推し進める。日米同盟のもとでの日本の自立というのはありうることなのか、絶対にないのか。そのあたりの議論も十分ではない。

 日米安保をめぐる問題が現実に複雑化しているのに、旧来型の安保観に捕らわれている人が少なくない。かくいう私も、じゃあ、それら複雑な問題を説明しきれる日米安保論というのは、持ち合わせていない。ここをなんとかしないと、説得力あるものを提示できないんだろうなあ。ここ数ヶ月、その作業が続く。

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