安倍首相の九条加憲案

2017年5月8日

 この連休、もともと憲法を主題にした次回作の執筆に当てる予定でしたが、安倍さんから具体的な提案が出てきたので、ずっと書いていました。あまり進みませんでしたが、頭のなかはかなりスッキリしたと思っています。

 これだけのものが出てきたのに、あまり議論は活発ではないように見えます。何というか、日本国民が受け入れている現実をそのまま規定した(理想は遠くにかかげておいて自衛隊は認める)もので、受け入れやすいと言えばそうなんでしょうが、悪い言葉で言えば弥縫策のようなものですから、哲学は感じられない。

 だから、小林よしのりさんのような思想家には、到底受け入れられることにならないでしょう。石破さんが言っているように、自民党の大勢も一貫して2項を残していてはダメだという議論をしてきたわけです。まあしかし、森友問題に見られるように、猫も杓子も安倍さんを支えるというのが、現在の日本国家の大きな流れですから、安倍さんの提案が基礎となって議論が進むことは間違いないでしょう。

 私は、公明党が加憲案を出した10年以上前から、もし国民投票にかかるような具体的な改憲案が出て来るとすると、それに沿ったものになると言いふらしてきました。1項2項はそのまま残し、3項で「前項の理想が達成されるまでの間、自衛のために必要最小限度の実力組織を置く」みたいになるのではないかということでした。

 ですから、それをどう評価するかということも、この十数年間、ずっと考えてきたのです。それなりの結論も持っていました。

 でも、実際に出てみると、そう簡単ではないと思い至りました。複雑です。

 ある人は、「自衛隊のことを憲法に書いてしまえば、海外で戦争する国になる」みたいなことを言います。実際、「自衛隊」でも「自衛権」でもいいんですが、それを書くことになると、個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も認めるという論理につながっていくとは思います。現行憲法で集団的自衛権が認められないとされてきたのは、あくまで9条では「自衛権」さえ認められないかのような書きぶりになっており、でも明文で否定されているわけではないので、古くから存在する個別的自衛権だけは存在するという理屈でしたからね。

 でも、それにしても、1項と2項が残ることになると、理想はそのままということになります。1項しかない世界中の憲法規定と比べると、たとえ3項が入ったとしても、世界のなかで高い水準の平和条項であることに変わりはありません。実際に平和を確保するのは憲法の規定ではなく、人々の闘いだと思いますが、その闘いの足がかりにもなると思います。もし、この改憲案がヒドいものだとすると、世界中の憲法はもっとヒドい憲法だということになってしまうでしょう。

 一方、現状をそのまま認めるというのは、憲法によって存在を否定されていると感じる自衛官にとって、朗報だと思います。自衛隊のことを書き込むのはどんなものであれけしからんという主張をすることは、自衛隊とその現状を認める多くの国民を敵に回すことになるでしょう。

 しかし他方で、現状が認められるというのは、現状の矛盾もそのまま受け継ぐということです。戦力でもなく交戦権もなく、海外での武力行使も禁止される。だから、個人としての自衛官が矛盾を抱え込むという構造は、まったく解決しない可能性があります。

 これら全体をどう見るのか。この秋に出す本で結論を示したいと思います。

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