考える歴史学

2017年12月11日

 先週末は「歴史総合研究会」の第4回会合だった。2020年から高校では、日本史と世界史を総合して教える科目がはじまることから、それにあわせて同じ見地で一般向けの歴史書シリーズ「歴史総合教養講座」(仮)を刊行しようということで、世界史、東洋史、日本史のお歴々に集まっていただき議論しているものだ。第1回が昨年12月だったので、ちょうど1年が経過したところである。今回、これまで学術会議の役員でお忙しく会議に参加できなかった先生もくわわり、6人全員が集まることになった。

 そこには、いま話題になっているが、高校教科書や大学入試で使われる歴史用語を精選しようという提言をしている先生も参加していた。「坂本龍馬を教科書から削るのか」と、産経新聞などで叩かれている、あの提言である。全文も頂戴した。

 歴史用語の精選って、大事なことだと思う。私が大学に入学した頃は、すでに「歴史は暗記科目」という風潮が強かったけど、私が受けた大学は日本史も世界史も短答式ではなく、1問を125字で回答する記述式だった。だから私は、岩波新書の歴史書だとか、中央公論社などで出ていた「日本の歴史」「世界の歴史」の全20巻程度のものを読みあさっていた。歴史が暗記物だとは感じたこともない。まさに思考力を鍛える教科だったというのが実感である。坂本龍馬の名前を覚えるかどうかは、思考力を鍛えるのに、あまり(まったく)関係がない。

 2020年からの「歴史総合」は、そういう歴史学の復権へとつながることになるかもしれない。だって、世界史と日本史をどう統合するかということ自体、思考力の強化と関係する。

 例えば「帝国」。日本では、いわゆる「大日本帝国」の時代であり、専制と対外膨張が一体となったものとして理解され、それは「帝国」そのものの概念と違和感なく受け入れられている。しかし、例外も多く、たとえばビザンツ帝国は戦争を好まなかった専制国家として知られているらしい。私の世代の左翼的理解では、「アメリカ帝国主義」という用語に疑いも持ってこなかったが、民主主義国家を帝国と位置づける例は、歴史的には稀少だろう。だから、「帝国主義」を理解するためには、世界を横断し、時代も横断するような捉え方が必要なのだと感じる。

 こういうことを歴史の全分野でやれるきっかけにしたいな。どこまでできるか分からないけれど。

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