共産党の政権論と憲法・防衛論をめぐる諸問題・1

2018年1月29日

 まだ煮詰め切れていないことも多いけれど、煮詰め終わってから書くとなると、いつまでも開始できないので、とにかく連載開始。書きながら考えていきたい。

 まず、なぜこの問題を論じるかということ。それは、安倍さんの加憲案にどう対抗するかが政治の焦点になっていくなかで、理論的に多くのものを得られると感じるからだ。共産党の政権論にも、憲法・防衛論にも、何十年もの実践のなかで積み重ねられてきた「宝」といえば褒めすぎになるが、格闘のあとがいっぱい詰まっていて、そのプラスの要素もマイナスの要素もトータルに知ることができれば、誰にとっても意味があると思う。

 なお、後者の「憲法・防衛論」については、私の近著『改憲的護憲論』で全面的に論じていて、それ以上のものを持っているわけではない。この連載で論じるのは、前者の「政権論」とかかわって考えるとこういうことが言える、というような性格のものだと了解してほしい。

 なぜ政権論と憲法・防衛論を一体にして論じるのか。それは、いま焦点の安倍改憲に対抗する上で、護憲派が政権を取りに行くくらいの覚悟が求められると思うからだ。

 安倍加憲に対する世論の反応はさまざまだが、少なくとも反対が圧倒的に多いということはない。よくて賛否が半々というところだろう。だから、国民投票になったとして、現状のような構図のままであっても、加憲案がつぶれる可能性はあると思われる。

 しかし、現状のままでは、護憲派は国会では小さい勢力のままである。それは、加憲案がつぶれても、日本の安全保障政策も現状のままだということを意味する。護憲派は、国民からは、自分のいのちをあずけられる勢力だとは思われていないのだ。その現状が続く限り、改憲問題はいつまで経っても焦点であり続けるわけで、護憲派の気が休まるいとまはない。

 しかも、そういう現状のもとで、憲法九条という、国民のいのちに直接にかかわる条項が議論されている。それでは、安全保障をめぐるちょっとした不測の事態が生じただけで、国民世論は改憲の方角にぐっと傾きかねないと感じる。

 だからこそ、政権論と憲法・防衛論を一体のものとして捉える必要があると思うのである。ということで、本日は前置きで終わり。(続)

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