共産党の政権論と憲法・防衛論の諸問題・6

2018年2月13日

 さて、共産党は新安保法制に反対した野党との間で連合政府をめざしているわけだが、安全保障政策での一致点はそこしかないのに果たして連立できるのかという問題に入っていく。あるいは、どういう条件のもとでなら可能かという問題になるかもしれない。

 一般論としては、小異(あるいは大異)を捨てて大同につく、ということが語られる。第二次大戦中にファシズムに反対した論理としての「神を信じる者も信じない者も」という言葉もある。だが、安全保障政策が真逆だということは、そういうおおざっぱな(失礼!)考え方のもとでは克服できないように思う。

 この連載で取り上げてきた98年の不破さんの論考では、真逆でも可能だということを証明する事例として、将来の税制像は異なるが、当面の消費税引き上げに反対では一致したことをあげていた。それはそうだと思うが、それはその課題だからできることだ。政権をとって、消費税の引き上げをしなければ、公約が守られている状態が続くことになる。共産党は国会に提出される法案の8割ぐらいには賛成しているはずだが、生活関連の法案というのは、保守か革新かを超えて一致するものが多いのが現実だ。国家予算だって、経済に限って言うと、「ここを削ってここに回せ」というものはあるだろうが、「ここをゼロにしないと予算そのものをとおさない」という態度をとることはなかろう。意見の違いを保留して話し合っていくことが可能だと思う。

 しかし、安全保障はそういうものとは性質が異なるのではないだろうか。連合政権が新安保法制を廃止するのは貴重なことだが、廃止するにしても徹底した国会審議が必要だから、短くても一年はかかる。しかも共産党は、それを達成したら野党になるという立場ではなさそうなので、長きにわたって政権として安全保障にかかわることになりそうである。

 そして、安全保障にかかわる問題は、われわれが日々体験しているように、毎日何かしらの判断が必要になってくるわけだ。それは北朝鮮の核・ミサイル実験かもしれないし、中国の船舶による領海侵犯かもしれない。それに政府として必ず対処しなければならない時に、北朝鮮や中国の行為こそが問題だという野党と、それは問題だが根源にあるのは日米安保だという認識の共産党と、どうやったら信頼関係のなかで対処していけるのかということなのだ。

 あるいは、予算の問題にしてもそうだ。5年に一度はめぐってくる思いやり予算の特別協定の延長案件に賛成してきた野党と反対してきた共産党は、どこかで一致することが可能なのか。イージスアショアなども同じである。

 共産党はこの間、新安保法制以前の法律、条約の枠内で対処すると言明している。それは、思いやり予算にも賛成するということを意味しているのだろうか。

 政策が真逆な政党の間で連合政権をめざすには政策協議の積み重ねが大事というのが、不破さんの論考の眼目であった。その通りだと思う。それならば、思いやり予算に賛成するかどうかということも含め、共産党の側から問題を提起していかないと、政策協議に入ろうということにはなっていかないだろう。

 では、どういう提起をすべきだろうか。(続)

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