『凍土の共和国』

2018年5月23日

 さて、この本である。1984年に出版され、すぐに読むように言われた。本の著者が過去に在日朝鮮青年同盟の専従をしていたこともあり、そことは私が国際部長をしていた民青同盟として付き合いもあったので、必須の文献ということであった。

 ここ十数年、北朝鮮の実態を暴く本はたくさん出ているので、いまの時点でこの本を読んだ人が内容にびっくりすることはないかもしれない。しかし、30年以上前のことだから、その衝撃は表現ができないほど大きかった。

 いやもちろん、北朝鮮の関係者がいろいろ説明することに、うさんくささは感じていた。とりわけ個人崇拝の極端さは辟易するものだったので、そういう人たちがいくら北朝鮮の自慢話をしても、「地上の楽園」だと宣伝しても、それを鵜呑みにするようなことはなかった。

 しかし、そうはいっても、「腐っても鯛」という程度には見ていたように思う。ところが、この本の著者が表現しているように、「腐っても社会主義」というものではなく、社会主義とは正反対物の「専制的帝国」だということがリアルに伝わってきたのである。

 帰国運動で北朝鮮に渡った家族は見る影もないほどに老いさらばえ、自分の子どもなのに自分より老人に見えるほど。北朝鮮にずっと住んでいる人々も身体は小さく、目は死んでいる。一方で、金日成らは壮大な豪邸に多くの使用人を抱えて住んでおり、序列と格差だけがそこには存在する。社会主義は平等だと信じていたのに、その対極の社会がそこにあったわけである。

 この本を説得力あるものにしているのは、その叙述が、現在そこいらにあふれかえる類書とは異なり、糾弾調ではないこと。自分が愛していたものが崩壊していく心情を切々と訴えているのだ。

 数年後、国際会議が平壌であって、私も参加したのだが、事前にこの社会のことが分かっていて良かったと思う。平壌には優良分子しか住めなくて、他の地方とは人の体格まで違っていることなんて、平壌しか訪問できない外国人には理解できないことだからね。

 問題は、北朝鮮の社会が、その後も変化をしていないように見えることだ。国連では毎年、人権理事会が任命した特別報告者の報告が提出されるが、変化が指摘されるようなことはない。

 そして国際社会にとっての問題は、そういう支配体制を3代にわたって維持してきたような政権を相手に、非核化という大仕事をやらねばならないことだ。

 独裁政権を相手に外交ができないとは言わない。北朝鮮ほど深刻でなくても独裁政権はたくさんあるから。しかし、金正恩が突然いい人になって話が進んでいるわけではないことを肝に銘じて、どんな外交をするのかを考えていかねばならない。

 この本、現在も新版が出ていて入手できるし、私もキンドル版を買って再読した。朝鮮半島の非核化を真剣に願う人にとっては必読だと思う。

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