サプライズのない米朝首脳会談

2018年6月13日

 会談後のメディアの報道次第では、本日から長い連載を始めるつもりだった。1994年の米朝枠組み合意や2005年の6か国協議の共同声明と今回の発表を具体的に比較して、特別な進歩はないことを論じるつもりだった。

 でも、本日の各紙を見る限り、その必要はないようだ。問題点がないかのように報じるメディアは皆無だったからね(事実よりも政治的立場を重視する機関紙を除くとだが)。

 いやもちろん、かつては戦争相手だった米朝の首脳が歴史上初めて会談したというだけで、歴史的意義があったとは言えるだろう。少なくともアメリカの中間選挙がある11月までは極度の緊張状態に逆戻りすることがないだろうことも安心材料だ。

 だけど、合意の水準は94年と05年の合意と同じ水準で、かつ北朝鮮はその合意時と異なり、実際に核兵器を保有していることを考えると、この合意を実らせるには半端ではない努力が求められる。

 「体制保証」については踏み込むのかと思っていた。しかし、「体制保証」と訳してているメディアもあるけれど、実際に使われている言葉はsecurity guaranteeであり、「安全の保証」である。これも、「アメリカは北朝鮮を攻撃しない」という94年、05年の合意と同じである。北朝鮮人民の運動が高揚し、金一族の体制を脅かすようになった時、フリーハンドで臨めるわけで、大事なことである。

 結局、私にとってのサプライズは、昨日の記事で書いた金正恩の言葉だけだった。「我々の足をひっぱる過去があり、誤った偏見と慣行が我々の目と耳をふさぐこともあったが、我々はそのすべてを乗り越えてここまで来た」という言葉だ。冒頭でサプライズを感じただけに、その後の会談に少しは期待したんだけれど、やはりそう簡単ではないよね。

 でも、北朝鮮というジレンマを乗り越えるには、結局、そこしかない。金日成と金正日がやってきたことを「誤った偏見と慣行」と言い切れるかということだ。

 金正恩がそう明確に言い切って路線を転換できれば、非核化には未来がある。金一族の支配体制の維持は困難になるだろうけれど。

 しかし言い切れないなら、支配体制は当面存続するだろうけれど、非核化も当面は困難になるだろう。どちらの方向に進むのだろうか。

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