社会党が凋落した原因

2013年6月7日

 先日、東京のある会議に出ていて、このテーマの本が出ないかなあという話になった。あまりに後ろ向きすぎて、本にしても売れないだろうけれど、大事なことではあるよね。人ごとじゃないし。どこか、他の出版社が出さないかなあ。

 よく原因として言われるのは、おもに左翼陣営からの指摘だが、自衛隊と安保を容認したのが決定打だったということだ。これは、ある意味で言い当てているが、別の意味ではまったく説得力に欠ける。

 後者から言うと、じゃあ、自衛隊と安保にきびしく反対する政党は伸びるかというと、まったく逆である。だって、国民の8割以上が自衛隊と安保を認めていて、自衛隊の縮小(廃止ではなく)を求める人が数パーセントしかいない状況において、尖閣で何が起ころうがが、北朝鮮のミサイルがどこに向かおうが、どんな場合も絶対に自衛隊を使ってはなりませんという立場を表明していたら、どんどん支持を減らすのは目に見えている。選挙で数パーセントを超えることはできない。単線的な見方しかできないと、社会党の凋落から学ぶことができない。

 じゃあ、どこが言い当てているのか。それは、社会党が、非武装・中立という理念に賛同する人々だけで党を構成し、支持者もそこだけにどんどん狭まってきた時点で、自衛隊と安保を何の考えもないまま容認したことにあるだろう。どういうことかと言うと……

 社会党の非武装・中立は、ずっと以前からの立場だった。しかし、国民の社会党への支持がそういうところから生みだされていたかというと、それは疑問だ。だって、昔だって非武装・中立を支持する国民は10%を超えることはなかった。侵略されたらどうするんだと詰め寄られて、降参して占領を認めるんですということしか回答がないのに、そんな政策を支持する国民は、やはり超少数派だったわけだ。

 そういう具体的な政策ではなく、社会党は、日米安保のもとで軍備拡張をすすめてきた自民党への対抗軸として、やはり存在感はあったと思う。強大な敵に立ち向かうには、対抗勢力もそれなりに強そうにみえないとダメなわけで、その期待が社会党に集まっていたのだと感じる。だからこそ一方で、実際に日本が非武装・中立になっては困るということで、政権をまかせるほどの支持までは寄せられることがなかったわけだ。

 社会党が、本気で政権をねらうために、安全保障問題でも本気の政策を具体化するなら、少しは変化があったかもしれない。だけど結局、社会党は、最後の最後まで、安全保障政策というものを出せなかった。非武装・中立という以外、出せなかった。それが続けば、党員も支持者も、そういう人だけになっていくのは当然だろう。

 そして、何も考えていなかったところに、突然、政権の座が転がり込む。しかも総理大臣である。

 他の閣僚ポストなら、社会党の基本政策を変えないでもよかった。自分や自分の党は自衛隊について違う考え方をもっているけれど、閣僚として内閣の方針、首相の方針に従うということで済んだわけだ。内閣とはそういうものだ。
 
 だけど、総理大臣になってしまったら、そういう言い訳は通じない。かくて社会党そのものが自衛隊・安保容認ということになる。

 しかも、ただ容認しただけではない。もし、多少なりともそこで自前の安全保障政策を立案しようと思えば、専守防衛の立場からどうするか思考し、総理大臣として影響力を発揮できたはずだ。

 ところが社会党は、日米安保にもとづく抑止戦略という、自民党政権の最大の問題点に何も手をふれることができなかった。それに対抗する政策構想を提示できなかったのである。そのため、非武装・中立という考えの外にいる多数の人々の支持を得ることもできなかった。理念だけが空回りし、政策というレベルでものを考えてこなかったツケが、一挙におしよせてきたわけだ。

 そして、その時点で、党員も支持者も、非武装・中立の理念に存在意義を感じる人ばかりになっていた。そういう理念を支持する人って、いまや数パーセントしかいないけど、そういう人たちだけの政党になってしまっていたわけである。

 そんな段階で、非武装・中立どころか、安保抑止戦略の立場に立ったら、少なくなった支持者からも見捨てられるのは当然であろう。そこから何を学ぶかが大事なことである。

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