麻生さんの問題で考えたこと・続

2013年8月8日

麻生さんの発言は、ドイツのワイマール憲法にかかわる問題だった。それが日本の憲法改正とからんでいた。だから、日本の護憲勢力が、ドイツの過去をどう見て、日本の護憲運動にどう生かすのかということも、この問題を考えるうえで欠かせない論点だと思う。

この問題では、ナチスによる全権委任法だとか、国会放火事件を口実としたドイツ共産党に対する弾圧だとか、そういうことが問題になる。当然のことである。もし自民党政府が、ドイツの手口に学んで、そんな手口で日本国憲法の改正に乗りだすなら、護憲勢力は結束して闘うことになるだろう(か?)。

ところで、ドイツに即して言うと、なぜナチスに反対する勢力が一致して闘うことにならなかったのであろうか。有名なマルチン・ニーメラーの言葉にあるように、共産主義者からはじまって社会主義者、自由主義者、宗教者と順番に弾圧されていったわけだが、なぜどの段階でも、弾圧される勢力が目の前にいるのに、他の勢力は声を上げ、立ち上がることをしなかったのか。

もちろん、ナチスの暴力のすさまじさに基本的な責任があることは承知の上である。しかし、それに対して協力し合って立ち向かうことにならなかったわけだから、協力しあわようともしなかった責任というものは存在する。結果は敗北に終わったかもしれないが、なぜ協力しあわなかったのかだけでも教訓にしておかないと、日本に生かすことができないのではないか。

1928年の選挙では、ナチスはまだ12議席だった。それが30年には107議席になり、32年7月になると230議席へと膨張する。危機感が充満する。

一方、社会民主党は、これらの選挙で一貫して百数十議席を獲得している。32年7月の選挙までは、政権第一党の座を確保し続けた。

他方、共産党は、28年には54議席だったが、30年に77議席、32年7月には89議席である。32年7月の選挙で社会民主党は133議席あったから、共産党とあわせれば222議席で、230議席のナチスと変わらなかったのである。

しかも、この段階で、国民のなかではナチスへの不安が生まれてくる。ナチスに230議席を与えた4カ月後、32年11月に行われた選挙では、ナチスは196議席に減少し、121議席の社会民主党、100議席の共産党の合計よりも少なくなる。これでうまくいけば、ナチスは一過性の運動になる可能性があった。

ところが、その段階でも社会民主党と共産党は、お互いを批判し合うだけで協力関係をつくれなかった。政権協力など問題外だった。その局面で、第一党であるナチスに組閣権限が与えられ、一挙にファシズムがドイツを襲うことになったのである。

そうなることは、国民多数は分かっていた。なのに反ファシズムの協力関係ができなかったのだ。(続)

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