「軍事か外交か」問題について・下

2013年11月20日

 結局、安倍政権を特徴づけるのは、「軍事」一般ではなく、「戦争挑発型の軍事と外交」というようなものである。それをただ「軍事優先」だと言ってしまうと、侵略に対する防衛という、いわば当たり前の軍事をも批判しているように見えてしまって、侵略されたら自衛するのは当然だと考える人はついてこれない。

 これに対して、対抗勢力が提起すべきは何か。それは、どう言うかは難しいけれど、「憲法九条型の軍事と外交」なのだと考える。

 もちろん、九条と軍事は矛盾するものであって、このテーゼだけで理解が得られるとは思わない。だけど、憲法九条と自衛隊の両方を、これまで日常的なものとして捉えてきた多くの人にとっては、受け容れてもらえる可能性があるのではないだろうか。

 問題は、この間のいろいろな宣伝その他によって、憲法九条のもとでは効果的な軍事戦略ができないと思われていないところにある。それをどう克服し、この道こそが日本の主権を守るうえでもっとも効果的かを打ち出せるかが課題である。戦争挑発型の軍事と外交は本当に戦争を招いてしまいかねないが、憲法九条型の軍事と外交は、平和的だからいいというだけでなく、安全保障戦略としてふさわいいと捉えてもらえるようにすることだ。これが今年に引き続き私の来年における課題でもある。

 しかし一方、そうはいっても、軍事はどんなものでもダメという方々もいる。だから、実際には、次のような構図をつくりだすことが肝要だと考える。

 闘うべき相手は、やはり「戦争挑発型の軍事と外交」を進める勢力である。何かあれば抑止力で相手をたたきつぶすことを目標としてかかげ、そのための軍事力の整備を進め、憲法九条の改変をもくろむるような勢力だ。こう位置づければ、相手は少数だということになると思われる。相手を軍事一般を大切にすると位置づければ、相手の方が多数になってしまうだろうけど。

 他方、仲間にすべき相手は、大きくいってふたつの勢力がある。

 ひとつは、軍事力を否定し、外交だけでやっていくと考える勢力。絶対平和主義の人びとと言ってもよい。ただ、これは数としては、少数にとどまる。

 もうひとつが、すでにのべた「憲法九条型の軍事と外交」を考える勢力。これは、九条と自衛隊の両方を肯定するわけだから、数としては圧倒的多数だが、潜在的なものにとどまっている。そんな考えがあることを自覚していないからだ。しかし、それが現実的なものであることが示されれば、目に見える勢力となっていく可能性がある。

 このふたつの勢力が共闘するわけである。気持ちのよい共闘ができれば、いまは「戦争挑発型の軍事と外交」が政治の世界では圧倒的多数をしめるけれど、それに対抗できる勢力へと成長するのではないか。世論の上だけでなく、政治の世界での多数へとである。

 本日は、いま東京にいて、福島に向かいます。(完)

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