2015年6月17日
少し余裕ができたので、8月に発表される歴史認識問題での「安倍談話」に焦点を当てた本を書き出した。『安倍談話と村山・河野談話をめぐる40章』みたいなタイトルで、「さよなら安倍政権」シリーズに加えるつもり。
安倍さんが日本の「侵略」を否定すると予想されるものだから(そうならないと思うが)、侵略(aggression)とは何なのかが定まっていないと、議論にならない。そこで、いろいろ調べはじめている。
aggressionって、たんなる「攻撃」ということを超えて、「侵略」という現在の意味で使われたのは、第一次大戦の講和のためのベルサイユ条約(1919年)であろう。英文と私の訳は以下の通りで、英文では最後の方にaggressionが出てくる。
The Allied and Associated Governments affirm and Germany accepts the responsibility of Germany and her allies for causing all the loss and damage to which the Allied and Associated Governments and their nationals have been subjected as a consequence of the war imposed upon them by the aggression of Germany and her allies.
「同盟および連合国政府は、ドイツ国およびその同盟国の侵略によって強いられた戦争の結果、同盟および連合国政府、またその国民の被った一切の損失および損害について、責任がドイツ国およびその同盟国にあることを断定し、ドイツ国はこれを承認する」
これって、悪名高い「戦争責任条項」(第二三一条)だ。アメリカのウィルソン大統領などは「無併合、無賠償」の講和だと表明していたのに、フランスやイギリスのあまりに犠牲が大きかったので(ドイツだってそうだが)、多額の賠償をとることに決め、そのためにはドイツが「侵略」したので一方的に責任があるのだという認定が必要とされ、ひねり出された条項である。
この戦争の経過についてはいろんな立場があるだろうが、レーニンは「双方の側からの侵略」だと言っていた。『帝国主義論』の記述だ。
「この小著で、一九一四年から一九一八年までの戦争は双方の側からの帝国主義的な(すなわち侵略的、強盗的、略奪的な)戦争であり、世界の分けどり、植民地や金融資本の『勢力範囲』の分割と再分割、等々のための戦争であったことを証明した』(『全集』第二二巻二一八頁)。
そういう点では、「侵略」概念の最初の登場には、政治的なものがある。右派がよく言うような、いわゆる勝者による裁きに他ならない。
侵略が包括的に定義されたのは1974年。その弱点とされた拘束性のなさ(条約ではなかったこと)、最後は安保理が判断するという政治性が克服されたのは2010年の国際刑事裁判所規程だ。
「侵略」概念を確立するのに、登場以来、91年も要したのである。侵略概念なんか簡単じゃん、と安倍さんを揶揄するより、その複雑さを描くことの方が、この問題を深くつかむことになるかもしれない。
2015年6月16日
講談社新書として、『新・自衛隊論』というタイトルで発売されます。一応、私も「会」の事務局担当として「はじめに」を書き、本全体の構成を担当し、巻末の執筆者プロフィールにも名前を連ねていますので、紹介しておきます。
価格は900円+税(72円)です。発売は18日からですが、アマゾンではすでに予約が開始されています。
ちょうど1年前の6月7日に発足した「自衛隊を活かす会」。それ以来、元幹部自衛官や安全保障論等の専門家を迎え、6回にわたるシンポジウムを開き、その成果をふまえて先月、「提言」を発表しました。
今回の著作では、シンポジウムに参加していただいたすべての方が、そこでの発言をもとに寄稿しています。国会では、新安保法制をめぐる議論が活発になっていますが、現行憲法の枠内においてこそ、国民と自衛隊員のいのちが守られ、日本の存立も全うできる道があるということを、この著作を通じて広げたいと考えています。
発売直後の20日に開催される「関西企画」ではサイン会も行います。こぞってご参加ください。
ちゃんとしたホームページがあり、2カ月に1度のペースでシンポジウムを開催してきたりしているので、この「会」には財政的な基盤があると思われているようですが、違います。本の出版を当て込んで、いろいろやってきたんです。だから、本が売れることが、「会」の活動を飛躍させることになります。
たとえば、「提言」は、英訳版をすでに出していますが、現在、アラビア語、中国語、韓国語にも翻訳中です。また、パンフレットにして、国会議員には配ろうと思っています。
その程度なら、本の初刷り分の印税でまかなえますけれど、「会」としては今後、アメリカを訪問して議論したり(その場合は、伊勢﨑賢治ジャズヒケシinニューヨークも開催するつもり)することも考えています。そのためには、2刷り、3刷りと売れていくことが不可欠なんです。
是非、ご購入をお願いします。そして、「会」を支えてください。
2015年6月15日
5月25日号に掲載されたものです。
新ガイドラインのねらい
切れ目なく戦争する国へ安保条約の枠を取り払う
安倍政権は五月一四日、新安保法制を閣議決定し、国会に審議のために提出した。今回の新安保法制の最大の特徴は、これまで憲法違反とされていた集団的自衛権を合憲だと解釈した上で、その具体化として提出されたことにある。したがって、憲法の本来的な解釈に立つならば、憲法に明確に違反するものになっていることは、いまさら論じるまでもないことである。
同時に、新安保法制のもう一つの特徴は、日米安保条約でも説明できない地点に踏み込んだことにある。4月27日に日米が合意した軍事協力ガイドラインに則していえば、最初につくられた七八年のものは、安保条約第五条(日本有事)を具体化するものであり、九七年のものは、安保第六条の極東条項に対応していた。安保条約に賛成するか反対するかでは意見の違いがあっても、そういう事実認識は国民が共有するものであった。
ところが、今回の安保法制でできあがる日米の軍事協力は、「(アジア)地域を超える」(ガイドライン)ものだと強調されているが、そういう協力関係が安保条約のどの条項に対応し、それをどう具体化するものだという説明はされていない。説明できないし、説明する気もないということだろう。
その結果、日本の対米協力が飛躍的に拡大したことは、誰もが認めるところである。各分野で驚くべき内容になっている。
国際平和協力の分野では、これまで、自衛隊の任務は道路の補修や給水などに限られ、活動場所は将来も戦闘が行われない「非戦闘地域」に限られていた。そのことが、自衛隊が海外で一人も殺さず、殺されずという実績を生み、日本の平和ブランドともいわれる状況をつくりだしてきた。しかし今回、「非戦闘地域」という概念が取り払われ、これから戦闘が行われる予定の場所であっても行けるようになり、任務には武器を使用するものが含まれることになった。日本のブランドが地に落ちる日は近い。
日本の平和にかかわる分野も同様である。九七年のガイドラインにもとづく周辺事態法は、実際に想定されていたのは朝鮮半島有事であって、その際にどう対応するかでは意見が分かれても、日本も無縁でいられないことでは国民のなかにも共通の認識があった。ところが今回、「周辺」という規定がなくなって、「日本の平和と安全に重要な影響がある」というあいまいな定義をあてはめれば、世界のどこでも米軍を支援することができるようになる。
しかも、そこに米軍の武器を防護できるという、自衛隊法九五条の改正がかぶさってくる。この九五条は、自衛隊の武器を守るための武力行使を認めたものだが、武力行使の判断をするのは現場の自衛官だとされている。治安が良くなかった時代に、暴徒が襲ってくるような事態を想定し、命令を待たないでも自分で判断してよいと定めたのである。しかし、公海上でアメリカの艦船(武器)を襲ってくるものがあるとしたら、それは国家意思で攻めてくるのであって、それとの交戦を現場の自衛官ができるとすれば、現場の判断で日本は戦争に突入することになる。その時点で日本は武力攻撃を受けていないので、現行法制では日本は組織的に武力行使をできないわけだが、今回の法制によって集団的自衛権の行使が認められるので、まさにシームレスに戦争へと突き進めることになる。
これまで日米安保の特質を説明するのに、アメリカは血を流すけれども、日本は基地を提供するだけで、不平等だという人がいた。しかし、今回の新安保法制は、日本が各分野で血を流すことを宣言するものである。その一方、ガイドラインは、日本の領土である尖閣諸島の防衛は、日本が「主体的」にやるものだと鮮明にしている。アメリカは「補完」するだけなのだ。不平等とは、こういうことを指すのではないだろうか。
2015年6月12日
続きを書くのを忘れた。何を書こうと思ってたかも忘れたけど、たぶん、犯罪を裁くに当たっては、その罪の性格をちゃんと捉え、ふさわしい裁き方をしなければならないということだ。
ニュルンベルグとか東京裁判で、「人道に対する罪」という新しい犯罪の概念が生みだされた。それは、ナチスによるユダヤ人虐殺を裁くのに、それまでの犯罪概念では不可能だったからだ。ユダヤ人抹殺計画などをもって、それを実行するって、それまで考えられなかったのである。
ただ、虐殺というだけなら、日本も同じようなことをした。だから、東京裁判でも、BC級の罪が適用された場合もあったわけである。
しかし、戦後の長い時代をかけて、その罪は区別することになってきた。その結実が国際刑事裁判所規程である。
ここでは、4つの罪が裁かれるのだが、ユダヤ人虐殺などに見られる罪は、「集団殺害犯罪」とされた。そして、他の殺害と異なる特徴を、「国民的、民族的、人種的又は宗教的な集団の全部又は一部に対し、その集団自体を破壊する意図をもって」殺害等が行われたことだとした。
一方、この国際刑事裁判所規程では、引き続き「人道に対する犯罪」も裁かれる対象になっている。これは、「集団殺害犯罪」のように、特定民族の抹殺などを意図してはいないけれども、「文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う」殺害等(姓奴隷化なども含む)だとされる。
だから、現在、「人道に対する罪」と言えば、ユダヤ人虐殺などとは区別されているということだ。それなのに、姓奴隷化などが「人道に対する罪」に入っていることをとらえ、ニュルンベルグ時点での知見に依存して、「慰安婦の問題はナチスに匹敵する犯罪」だと言うような人がいる。
これは正確でないのだが、それ以上に問題なのは、慰安婦問題の罪をちゃんと裁くことにつながらないことだ。ナチスと同じだと言えば、朝鮮民族抹殺の計画があったことを証明しなければならないのに、そんなことはできないのだから、反論されればひとたまりもない。慰安婦問題を裁くには、現実に起きたことに即して問題を捉え、追及しなければならないということだ。強く批判する言葉を使えばいいというものではない。
まあ、ドイツに行ってもポーランドに行っても、考えることは、日本の戦前のことをどう捉えるのかということばかりだった。当然だろうけれどもね。
2015年6月11日
主催者の発表を、以下、そのまま貼り付けておきます。大阪近くでご関心のある方はどうぞ。
【市民社会フォーラム学習会】朝日新聞現役記者とともにメディアの役割を考える 松竹伸幸さん出版記念講演会『慰安婦問題をこれで終わらせる。理想と、妥協する責任、その隘路から。』(6/12金@大阪)
以下転送転載拡散歓迎
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十三藝術市民大学 社会学部
■□■市民社会フォーラム学習会■□■
朝日新聞現役記者とともにメディアの役割を考える
松竹伸幸さん出版記念講演会
『慰安婦問題をこれで終わらせる。
理想と、妥協する責任、その隘路から。』
日 時 6月12日(金)18:30〜20:30(開場18:00)
会 場 シアターセブン BOXⅠ(大阪・十三)
http://www.theater-seven.com/access.html
ゲスト 箱田哲也さん(朝日新聞論説委員、元ソウル支局長・外報部次長)
池田香代子さん(ドイツ文学翻訳家)
参加費 1000円
『慰安婦問題をこれで終わらせる。理想と、妥協する責任、その隘路から。』(小学館)を著した松竹伸幸さんの出版記念講演会を開催します。
朝日新聞現役記者にも出演いただき、メディアの役割について皆さんと考えます。
お申し込みなしでどなたでもご参加できますが、
人数把握のため事前申し込みいただければありがたいです。
civilesocietyforum@gmail.com まで
【出版社サイトの紹介】
http://www.shogakukan.co.jp/books/09388423
良識と国益の「具体案」、この一冊。
「戦時下の公娼」か「性奴隷」か…右派と左派が叫びあうも、一般市民はもはやウンザリ…?
“超左翼”を名乗る著者が右派に学び、矛盾にも見える現象からその本質を抉り出す。
「動かすカギは“左翼の妥協”である」と。
〈 編集者からのおすすめ情報 〉
正直、私を含め多くの方にとって、ウンザリの思いも禁じえないのがこの問題かもしれません。
先の大戦での日本のふるまいに反省すべきではと感じつつ、でもやはり日本国内の左派と右派それぞれの、また韓国側からの、叫びのような各主張に、ウンザリ……穏健な議論はどこにあるのだろうかと。
しかし、いまなお日韓の棘となっており、また2015年で戦後70年、また日韓基本条約50年でもある節目であり、いやおうなく外交問題ともなるでしょう。
そこで「左翼内保守派」や「左翼内右翼」とも呼ばれる著者が、この問題の本質を考えぬいた上で、良識と国益を兼ねた具体案を提示します。
穏健な右派と左派そして中道の方々の、冷静な議論の叩き台になっていると思います。
「現実に鍛えられた理想」についての一冊です。