2014年4月10日

 本日の夕方、会社で簡単な打合せがある。かもがわ出版には「応援団」があって、京都のいろいろな方が協力してくれているのだが、そういう人たちの打合せだ。

 何を打ち合わせするかというと、私を呼んで集団的自衛権の講演会をやろうということで、日取りとかを決めるわけである。5月には「安保法制懇」の報告が出されるし、それをふまえて私の本も出版されるということで、それに合わせてやれば注目もされるだろうということだ。

 それで思ったのだが、実は、この5月、京都に呼ばれるのが多い。憲法記念日は兵庫県だが、その後は、京都の生協関係者の九条の会とか、新日本婦人の会とか、そして本日決まる取り組みとか。

 二カ月ほど前だったか、京都で集団的自衛権の講演会に呼ばれたとき、1年前から京都常駐になったこととか、京都に骨を埋めることを決意していて、そのためにマンションまで買ったことをお伝えしたんだ。それが伝わってきているかな。

 京都のみなさん、よろしくお願いします。

 ところで、その本のことですが、いくつかの表紙の案をつくってもらったんですが、それを絞り込んできました。いま、色違いのふたつの案のどちらにしようかなという段階なんですが、みなさん、どっちがいいですか。

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 この本、連休明けくらいに、ブログ読者のみなさんにプレゼント募集するつもりです。お楽しみに。

2014年4月9日

 「自衛隊を活かす会」の仕事は、シンポジウムとかをやって、自衛隊の活かし方を研究するものですから、多額の資金が必要なものではありません。とはいっても、多少のものは必要となりますよね。

 たとえば、いま作成途上のホームページもそうです。このブログの呼びかけに応えてくれた方がボランティアでやってくださってるんですが、サーバーを借りたりするのは無料にはなりません。シンポジウムに参加してくれる自衛隊関係者には、少しではあっても謝礼をお渡ししなければならないでしょう。さらに、研究した内容を広げるのが目的ですから、ホームページで公開するだけではなく、少なくとも国会議員全員には100ページ以上のパンフレットのようなものを配布することになると思います。

 最後には、まとまった成果を本にして、その本の印税をこれらの費用に充てるということになっています。ということで、出版社は募集中です。どこも出したいところがなかったら、うちから出すんですけど、執筆者や本の性格からして、右とか左とか関係ないところが望ましいと考えています。

 で、本日、それらをスムーズに進めるため、ゆうちょ銀行に口座をつくりました(画像)。

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 いやあ、団体の名前で口座をつくるって、ずっとできなかったでしょ。それが変わったんですよ。そのことをお知らせするのが、本日の記事の目的です。

 サークルなんかで会費を管理したりするのに、あれば便利でしょ。でも、これまでは個人名でしかつくれず、不便でした。だけど、ゆうちょだけだし、ゆうちょのなかでも不慣れで「できない」と言われる局もあるようですが、できるんです。

 まあ、団体の規約をつくったりとか、いくつか手間はかかりますが、たいしたことはありませんし、親切な局なら、手取り足取り教えてくれます。ご参考になればうれしいです。

2014年4月8日

 昨晩、この会の準備会合だった。記事のタイトルにあるのは略称で、正式名称は、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」である。

 一言でいえば、その趣旨は、自衛隊を否定するのでもなく、あるいは国防軍や集団的自衛権に走るのでもなく、現行憲法のもとで生まれた自衛隊の可能性を活かし、探ることにある。いま、安倍さんが日本を危うくする防衛政策を突きすすんでいるもとで、その方向ではなく、現実に立脚した防衛政策を提唱することにある。自衛隊の元幹部などに関与してもらうところに、他にはない特徴がある。

 そのことを先日、この欄でも紹介した朝日新聞で頭出ししたら、NHKから電話があって、「会」の正式のシンポジウム(6月7日予定)を待たず、準備会合から取材したいということだった。だから、いつもは居酒屋でやっている準備会合を、ちゃんとした事務所で開いたのである。

 5月に「安保法制懇」の集団的自衛権に関する報告が発表されるが、それにあわせる形で放映されるそうなので、楽しみにしていてください。やはり、現実味のある対案が求められているんだね。連休明けには、ホームページも開設し、取り組みの告知もするし、賛同者も募っていきたい。

 そこで教えられたことだが、私の『憲法九条の軍事戦略』が、次の「戦略研究」での書評の対象となっているらしい。たいへん好意的な書評だということだ。

 「戦略研究」といえば、軍事戦略を中心とした研究者の集まりである戦略研究学会が発行しているもので、防衛省関係の研究者も多い。そういうところで評価されるのは、たいへん心強いことである。

 さらに本日、イミダスの編集者から連絡があり、集団的自衛権が発動された実例について原稿を書いてほしいということだった。3000字程度。こういう種類のオファーもはじめてのことだ。

 いよいよ憲法問題で本格的な勝負が始まるということで、昨年、『憲法九条の軍事戦略』と『集団的自衛権の深層』を書いたのだが、いいタイミングだったということだと思う。7年前、防衛省関係者にお願いし、『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』を出して以降、この路線を進み、人のつながりをつくってきて、それがようやく実ろうとしているわけだ。

 昔、よく、『闘いに参加する喜びだけではなく、闘いに勝利する喜びを味わう』なんてことが話題になった時代があった。政治の革新というものが現実味をもって語られた時代のことである。そういうことが再び語り合えるような時代にしたいなと思う。

2014年4月7日

 本日の朝日新聞をはじめ、集団的自衛権に関する世論調査を見ると、護憲派にとって好ましい結果が出ているとは思う。だけど、じゃあ解釈改憲を阻止する展望が生まれているかというと、そうまでは言えないだろう。

 だって、秘密保護法だってそうである。あれだけの反対の世論と運動が広がって、でも阻止することはできなかった。いまでも世論と運動は継続しているけれど、じゃあ国会で廃止する展望が生まれているかというと、そうではない。

 安倍さんは、秘密保護法を強行したように、集団的自衛権も強行してくるだろう。何といっても相手が国会で多数を占めているので、それはいかんともしがたいことである。

 そこを阻止することができるとすれば、選択肢はひとつしかない。それは、次の選挙で、集団的自衛権に反対だという勢力が多数を占めること、そういう勢力が安倍政権に替わって政権を担うのが確実になることである。

 これは容易なことではない。次の選挙で、いま政界にあるいくつもの政党が争うことを想像してほしい。これだけの世論だから、たしかに集団的自衛権とか秘密保護法に反対する政党、候補者が伸びる可能性はあるだろう。だけど、小選挙区で1議席を争うわけだから、ほとんどの選挙区で巨大な自民党を上回る得票を得て議席を獲得するというのは、奇跡に近い出来事となろう。

 どこかひとつの政党が、自民党に替わって多数を占めるほどの力をもつことはできるだろうか。民主党は、政権の失敗をまだ総括もできておらず、国民から見放されたままである。維新やみんなは、集団的自衛権賛成であって問題外。共産党や社民党は、次の選挙で数十議席の獲得をめざしており、政権をとること自体を目的にしていない。

 要するに、安倍政権に替わる政権を実現するためには、それが大事だと考える政党、政治家が結集し、ひとりの候補者を擁立することしかない。それが可能になるなら、解釈改憲を阻止できるし、そういうことは現実的でないと考えるなら、解釈改憲を見過ごすことになる。

 ということで、今晩、この問題にもつながる可能性のある数人規模の会議に参加する。NHKがカメラを入れて取材に来るというので、近く、ニュースになるかも。

2014年4月4日

 集団的自衛権の議論が政府与党内で大詰めを迎えてきて、いろいろ新しい議論が生まれている。この機会を逃すと二度とチャンスは訪れないと考えて、必死なんだろうなあ。

 だけど、私から見ると、不誠実さばかりが拡大するように思える。絶対に実現したいということで、スジが通らなくなってきているのだ。

 たとえば、どういう場合に、どんな集団的自衛権の行使が求められるのかという問題。最近、ペルシャ湾での機雷の掃海とか、朝鮮半島有事での米軍との共同行動などが取りざたされるようになった。

 そういう場合に集団的自衛権が必要かどうかは別として、それ以前に、議論の仕方がおかしいんだよね。ついこの間までは、米本土に向かうミサイルがどうかとか、アメリカの艦船が攻撃されたときにどうするかとか、そういうケースを彼らは提示していたのに、その評判が悪いと分かると、ケースそのものの想定を変えてきたわけだ。

 もともと、この問題は、アメリカなどがどこかから攻撃されていて、それをどう助けるかということであって、攻撃されている国にしたら、とっても大事な問題なんだよね。そういう大事な問題なのに、これがだめならあれ、あれがだめならそれみたいに、とっても無定見。防衛問題って、いのちがかかる問題なのに、そういう問題を議論しているという真摯さが感じられない。いのちを守るという角度ではなく、どういうケースを提示したら国民を「なるほど」と思わせ、解釈改憲できるかという角度で考えている。

 それと、最近、高村さんが言っている砂川判決のこと。この判決で日本の防衛に必要最小限度の範囲では自衛権が発動できると言っているから、必要最小限度なら集団的自衛権もオーケーだというものだ。

 これは、本当は難しい問題。国際法上の概念で正確にいえば、米軍が戦争するときに基地を提供したり、後方支援するのは集団的自衛権の発動である。だから、誤解をおそれずにいうと、すでに日本は必要最小限度の集団的自衛権は行使しているわけだ。それを内閣法制局が集団的自衛権は戦闘行為に限るという狭くゆがんだ解釈をして、定着をしてきたのである。

 しかし、そういう理論的な吟味はしないまま、60年以上前から集団的自衛権は合憲だったなんて議論をもちだすなんて、あまりに不誠実でしょ。ずっと違憲だとしてきた政府の責任はどうするのか。

 しかも、やはり国民の理解を得たいがために、日本の防衛に必要な集団的自衛権という概念を作りだしている。だけど、日本の防衛に必要ならば、集団的自衛権ではなく個別的自衛権ではないか。

 こうして、国民の理解を得ようとすればするほど、論理が破綻してくるのである。本当にジレンマだよね。