2018年5月15日

 北朝鮮の人権問題は、日本からの帰国者などを通じ早くから明らかになっていた。私も1984年に刊行された元朝鮮総連幹部の『凍土の共和国』でその一端を知ることになる。

 しかし北朝鮮の人権問題が、国際的に問題になってきたのは、人権問題では先進的な欧米のNGOが着目するに至った90年代半ば以降のことである。それまで欧米のNGOにとってアジアの人権問題は他人事だったのだが、食糧危機で脱北者が大量に発生して情報が出回るようになることにより、見過ごすことができない問題として自覚されたのである。

 97年、国連人権委員会(現在の人権理事会)の小委員会(学者など専門家で構成される)が初めて北朝鮮の人権問題での決議を採択する。多くの人びとが拘禁され、人権侵害が引き起こされていることは明らかだとして、北朝鮮に対してはみずから批准している国際自由権規約の定めにもとづく定期報告書の提出を求め、国際社会には北朝鮮の人権問題に関心を持つよう訴えたものであった。

 北朝鮮は当時、大変真面目で、その定期報告書を2000年に提出し、01年に審査が行われた。ところがそこで北朝鮮は、「公開処刑」をやっていることを認めたのだ。「住民の全員一致の要請」があったからというものであったが、そういうことを堂々と言っても許されると思っているという感覚が、国際社会を驚かせた。国連人権委員会は、03年になって北朝鮮の人権状況を監視する特別報告者を置くことを決め、その後は現在まで、この報告者によって実態が明らかにされてきている。2つの側面から論じる。

 まず、実態はどうあれ、北朝鮮が公式に報告してきている法制度そのものが異常なことである。審査を踏まえた自由権規約委員会の最終所見では以下の点が指摘されている。

 1つは司法の独立がない。中央裁判所(最高裁)は最高人民会議(国会)に責任を負い、裁判官の任期は5年で、「不適切な判決」をした場合は刑事責任が生じる。

 2つ目は死刑の異常さ。死刑に値する5項目のうち4つが政治犯罪。他国に逃亡しただけで祖国反逆罪として死刑になる。平和的なデモに参加しても死刑になる。

 3つ目は移動の自由の制限。国内旅行でさえビザが必要。海外に行くには政府の許可が不可欠。

 4つ目は言論の自由。海外メディアの駐在に制限があり、外国の出版物を国民に配布することが許されていない。

 5つ目は参政権の制限。政党の結成について、それを望む国民が一人もいないことを理由に必要性を認めない。

 次が実態面である。北朝鮮が堂々と報告してくる建前としての法制度だけでも、以上のような問題があるわけだから、実態がどんなものかは誰でも想像できるだろう。特別報告者が提出した第1回目の報告では、あれこれ実態を述べた上で、全体として北朝鮮の人権状況は「言語道断(egregious)」だという評価を下していた。

 すでに長くなったので、続きは明日にする。(続)

2018年5月14日

 東京に出張中ですが、連載を続けます。あと3、4回かな。

 私がこの問題でジレンマという言葉を使うのは、非核化から平和条約へ、国交正常化へという過程が、北朝鮮が多少なりとも開放された国になることと結びついているからである。現在は隠されている北朝鮮の人権問題の実態が明るみになることにより、それでも金一族の支配体制を支えていくのかが問われることになるからである。

 94年の枠組み合意という限られた目的を達成するためにだって、IAEAの査察官はもちろん、アメリカからだって何十人もの要員が核開発の拠点であった寧辺に滞在した。その記録をしたためたケネス・キノネスの『北朝鮮Ⅱ 核の秘密都市寧辺を往く』では、文化も言語も政治も何もかも違う両国の人間が不信の壁を乗り越えていく過程が描かれている。

 ましてや国交正常化となれば、首都平壌にアメリカをはじめ世界各国の人間が出入りすることになる。そういう状態になれば、これまでは脱北者などを通じてしか人権問題の実態は伝わってこなかったのだが、いろいろな人に取材が可能になってくるし、強制収容所にアクセスしようという記者も出て来るだろう。

 そこで何が明らかになってくるのか。先日、ニューヨークタイムズのコラムニスト(元東京支局長)の記事が朝日新聞に翻訳されて掲載されていた。次のようなことも書かれていた。

 「トランプ氏にはぜひ人権問題も取り上げてほしい。ある調査委員会の報告によると、北朝鮮は強制収容所で「広範に」人道に対する罪を犯している。「10万以上という数字には国家の敵とされる人の罪なき家族も多く含まれるが、その数を上回る人が政治犯収容所に送られて死んでいる」。そう私に話すのはピレイ前国連人権高等弁務官だ。「頻繁な強制中絶や幼児殺害、キリスト教徒の迫害、拷問、即決処刑には十分な裏付けがある。トランプ大統領は、赤十字や国際社会が北朝鮮の刑務所や収容所にアクセスできるよう要求できる」という。」
 (コラムニストの眼)北朝鮮への疑念と期待 戦争回避の道筋は描ける ニコラス・クリストフ(NYタイムズ、4月29日付 抄訳)

 そういうことがもっとリアルに報道されるようになっても、トランプ大統領は、強制収容所や虐殺などは朝鮮半島の非核化と比べれば小さな問題だという態度を貫けるのか。アメリカ国民はそれを許すのか。

 その議論のためには、北朝鮮の人権問題を、より詳しく知っておく必要があるだろう。明日はその問題。(続)

2018年5月11日

 6か国協議のオモテの場面では、北朝鮮の非核化の見返りとして議論されていたのは、北朝鮮を攻撃しない保障であり、かつそれを朝鮮戦争の終結と米朝国交正常化にどうつなげるかということであった。しかし、金一族の支配体制維持を保障するかどうかこそが、あまりオモテには出てこなかったが、6か国協議で一貫して通奏低音のようなものであった。

 そもそも2003年に6か国協議がはじまったが、その第1回目の会合でも焦点となる。北朝鮮が非核化されたのちにしか見返りを与えないという当初のアメリカの態度は、早くも北朝鮮の粘り腰で後退し、核放棄の意思が表明されれば安全保障上の考慮をすることをアメリカは表明した。

 さらに、伊豆見元氏によると、この際、「脅威を与える意図はなく、侵略あるいは攻撃する意図もなく、体制変更を求める意図もない」という3つのノーまで表明したとされる(「中央公論」2005年3月号)。まあ、「体制変更を求める意図もない」と言っても、体制を支える資金源を断つ自由はあるということだったのかもしれないが。

 しかし、これらをきっかけに6か国協議は軌道に乗り始める。2004年の第3回会合になると、北朝鮮の新提案に対して、アメリカが初めて「見返り」に言及することになった。

 2005年になると協議の様相は複雑さを増す。アメリカはブッシュ政権が第2期に入るのだが、年頭の一般教書演説において、「我々の最終目標は世界から圧政を消し去ること」だと表明する。パウエルに代わって国務長官に就任したライスは、上院の指名承認公聴会において、北朝鮮を攻撃する意図はないとは表明したが、北朝鮮が最も関心を寄せる体制変更には言及しなかった。

 そういうなかで、さまざまな駆け引きの結果として、9月の会合で初めて共同声明が出され、朝鮮半島の非核化がうたわれるのである。しかし、この共同声明では、アメリカが北朝鮮を攻撃しないことは明確にされたが、体制保障までは明示されなかった。そして、体制保障にとって不可欠な資金源を断つか断たないかで米朝が激しく対立し、協議は頓挫して現在に至っているのである。

 この経緯が示すことは簡単である。アメリカが、北朝鮮の金正恩体制を支えることを明確にすれば、核問題は進展するということである。どんな残虐な支配体制であれ、それは北朝鮮の国内問題であって、体制維持に必要な資金を断つようなことはしなければいいということなのである。

 連載の最初で私が今回はこれまでと比べて可能性が高いと述べたのは、トランプならその程度のことはやると感じるからだ。これまでの歴代大統領と比べて、他国の人権問題への関心ははるかに薄く、それよりも自分が「平和の使者」となるのを選ぶと思うからだ。

 ただ、現実に起きるであろう事態の進行を予想すると、本当にそうなるのかと懐疑する自分がいる。自由と人権をあれほど重視するアメリカ国民が、そしてその代表であるトランプ大統領が、これから本格的に明らかになる北朝鮮の人権問題を見過ごすことができるのかと不安になるからだ。(来週へ続く)

2018年5月10日

 2005年6月の6か国協議で初めて共同声明を出すことで合意し、「朝鮮半島の非核化は最終目標」という文言が確認された。北朝鮮の非核化が約束されたわけである。

 ところがその後、協議は暗礁に乗り上げていく。そして翌06年7月、北朝鮮が7発のミサイル発射実験を強行したのをきっかけにして、国連安保理で北朝鮮批判決議が全会一致で採択され、協議そのものが中断するのである。07年には北朝鮮は核実験に踏み切ることになる。

 北朝鮮がその間、一貫して問題にしたのは、06年9月、アメリカが隊テロ特別法第311条にもとづき、マカオの本拠を置く銀行「バンコク・デルタ・アジア」を資金洗浄の疑いのある金融機関に指定したことであった。さらに続いて10月、アメリカが北朝鮮企業8者に対して、大量破壊兵器拡散に関与したとして資産を凍結したことであった。それを解除しない限り6か国協議の再開には応じないという態度をとったのである。

 日本の識者のなかには、このアメリカの措置こそが6か国協議を破綻させた元凶だとして非難する人もいる。共産党の志位委員長も、「米国が北朝鮮の銀行口座を凍結するなどの行動をとり、それが「共同声明」履行のプロセスに困難を持ち込んだことも事実」(「赤旗」日曜版4月15日)と述べている。

 しかし、その志位さんも、「「共同声明」に反する行動をとったのは、基本的には北朝鮮だった」としている。実際、共同声明のなかに米朝の国交正常化などがうたわれているが、経済制裁問題への言及は合意事項としては一言もない。「「約束対約束、行動対行動」の原則に従い、前記の意見が一致した事項についてこれらを段階的に実施していく」とされていて、北朝鮮が話し合いに応じているのにアメリカがそれに反する行動をとったと主張するのは可能だが、非核化のための協議しているのだから、大量破壊兵器の拡散に関与する企業の資産を凍結することが約束違反だと言われても、かなり常識外れのことに思える。

 いずれにせよ、アメリカの金融制裁が、北朝鮮を核・ミサイル開発に邁進させたほどのものであったことは確かだ。そして、なぜそれほどまでの行動を北朝鮮にとらせることになったかといえば、凍結された北朝鮮の銀行口座の性格がそれほどのものであったことに由来するわけである。

 アメリカがなぜ「バンコク・デルタ・アジア」を問題にしたかというと、そのなかにある北朝鮮関連の口座が、資金洗浄に利用された疑いがあったからである。これはニセドル札流通をアメリカが捜査するなかで発覚したことである。そして、この口座は、北朝鮮の金一族の資金源となっていると言われている。
 
 つまり、北朝鮮にとって最も大事なものは、金一族の支配体制の維持であり、そのための資金だということなのだ。それが維持できないなら核合意など踏みにじるということである。

 今回も同じことに直面するだろう。核合意を推進するためには金一族の支配体制まで永続的に保障するのかどうかだ。(続)

2018年5月9日

 いきなり体制保障の話になる。北朝鮮が求める体制保障とは何なのか。それを明らかにしないと話が始まらないだろう。

 9.11をきっかけに「先制攻撃」戦略を明確にしたブッシュ政権は、北朝鮮を「悪の枢軸」と位置づけ、その「枢軸」の一員であったイラクのフセイン政権を武力で打倒した。それに脅威を覚えた北朝鮮が核開発に邁進したとされる。

 その文脈で捉えると、体制保障とは、北朝鮮の体制を武力で打倒しないことへの保障と捉えるのが常識的だ。本日の朝のニュースでも、金正恩が中朝首脳会談において、非核化のためには安全保障上の懸念が解消される必要があると「条件」を出したとされるが、そのことである。

 そして、そういう懸念のことならば、これまで何度も解消されたのだ。それは94年の米朝枠組み合意にも、2005年の6か国協議の共同声明にもあらわれている。

 枠組み合意は次のようになっている。「米国は北朝鮮に対し、核兵器を脅威として用いないこと、ならびに使用しないことに関する公式な保障を提供する」

 いうまでもなくアメリカは核抑止を基本戦略としていて、いざという時には核兵器を使用するという脅しによって外交目的を達成しようとしている。そのアメリカが北朝鮮に対しては核抑止戦略をとらないことを公的に保障したのだから、アメリカにとってはそれなりに踏み込んだ合意だったと言える。

 6か国協議の共同声明は、これをさらに発展させた。「米国は、朝鮮半島で核兵器を保有せず、北朝鮮に対して核兵器または通常兵器による攻撃または侵略を行う意図を有しないことを宣言した」

 朝鮮半島の核兵器をおかないことは90年代初頭に確認されていたことで新しくはないが、それを北朝鮮も含む協議で確認したわけだ。さらに、枠組み合意と異なり、通常兵器で攻撃しないことも約束したのである。

 それなのに、なぜ、北朝鮮は合意を無視して核開発の道を邁進したのか。アメリカが合意を破ったのか。そうではないだろう。別にアメリカは核兵器であれ通常兵器であれ、北朝鮮を攻撃したわけではないし、攻撃する意図があると表明したわけではない。

 もちろん、「意図」があるかどうかは主観的な話であって、北朝鮮が「アメリカには意図あり」と断定すれば、合意に反したのはアメリカだと主張するぐらいのことは可能になる。実際、北朝鮮は米韓合同演習を意図のあらわれだと批判してきた。それに応えて、枠組み合意を結ぶ際、当時の米韓合同演習であるチームスピリットが中止されたこともあり、アメリカも柔軟に対応してきたと思う。

 しかし、北朝鮮が合意から離脱する際に理由としたのは、そういう問題ではなかった。求めた保障とは、北朝鮮を攻撃しない保障ではなく、現在の支配体制をアメリカなど国際社会が支えるための保障だったのである。6か国協議が破綻した経緯を見れば、そのことはすぐに分かる。(続)