2018年3月12日
7年目の福島ツアーが終わり、昨夜、東京から新幹線に乗ろうとしたら事故で大幅な遅れ。京都駅までは戻れても、家にたどり着けないことが明白だったので、東京に泊まって、いま新幹線のなかです。
ツアーの間に、日本の政治は大変動ですね。これは安倍さん、終わりでしょうね。
これまでは、いろいろ追及されても、安倍さんが関わって法律違反を犯したというものではなかった。政治の責任という範囲のことだから、その政治を国民が支持していれば、堂々と乗り切ることができました。
しかし今回は公文書の改ざんという、紛れもない法律違反です。しかも、直接にそれを指示したのは財務省の幹部であっても、その目的は、削除された用語である「本件の特殊性」を生み出した官邸の関与にあることは、もはや言い逃れできないでしょう。安倍さんは「自分は関与していない」と言いつつづけてきていて、それ自体は事実かもしれないけれど、「関与していない」という安倍さんの言明を疑問の余地のないものにするために文書が改ざんされたわけですから、官僚に法律違反行為をさせた責任は免れないのだと思います。
それよりも何よりも、安倍さんを首相に抱き続ける限り、この問題も抱え続けるということになり、「安倍さんでは選挙が闘えない」という声が自民党内で大きくなってくるだろうということです。石破さんや小泉さんの最近の発言は、そこを捉えている感じがしますよね。
安倍さんがそれでも改憲をやり抜きたいとすれば、道は一つしかない。25日の自民党大会で改憲案を決めたら、退陣すると宣言して、改憲案を推進すると明言する人に総理の座を禅譲することです。
岸田さんが手を挙げたら、「安倍政権のもとでの改憲反対」で盛り上がっていた世論の一角はもろくもくずれるでしょう。岸田さんが、自民党大会の決定に離反してでも改憲しないという旗を掲げることができるなら、「オール沖縄」の全国版が誕生する可能性だって否定できないかもしれません。まあ、岸田さんにそれほどの覚悟はないでしょうし、護憲派にもないでしょうけど。
政治の動きから目が離せませんね、今週は。私は本日は出勤しませんが。
2018年3月9日
伊勢崎賢治さんは3.11の直後、お一人で原発から数キロという地点に行き、線量を計った上で、自分がかかわる国際紛争のNGOを福島に派遣した。当時、岩手や宮城にはボランティアがあふれていたが、福島には誰も行かなかった。伊勢崎さんは、自分で線量を計ることで、「行ける場所がある」ことを確信したわけだ。それにしても、いのちの危険に立ち向かう覚悟のあるNGOしか、当時は行かなかったのである。
その数年前、伊勢崎さんの本をつくっていた。『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』、続いて『アフガン戦争を憲法九条と非武装自衛隊で終わらせる』というタイトル。身体を張って紛争を終わらせる日本人がいるんだという感動がつくらせた。私の息子も感激して伊勢崎ゼミに入ることになる。いついのちが断たれるかもしれないという状況が、伊勢崎さんをプロのジャズトランペッターの道に向かわせる。
1年目の3.11。現地の人に伊勢崎さんのジャズセッションをやりたいと申し出た。残っている人は高齢者が多く、「?」という受け止めだったけど、相馬高校出身のジャズメンも協力してくれたり、その相馬高校の吹奏楽部も出演しれくれたり、とっても盛り上がることになる。
翌年、その伊勢崎さんが、福島高校に招かれ、高校生を相手に国際紛争論の講義をすることになる(悔しいが、他社から『本当の戦争の話をしよう』という本になっている)。その場で、日本の高校のなかで唯一、福島高校にジャズ研があることを知った伊勢崎さんが戻ってきて、「いっしょにセッションをしたい」というわがままを言いだす。
そこで、3年目の3.11ツアーでは、わがままを聞いてあげた。半年ほど前に福島高校に行って、ジャズ研の顧問の先生(と校長先生)にお会いし、頭を下げて出演許可を得たのである。
ジャズ研の顧問をしていたのが、初代部長の大森真さん。当時はテレビユー福島の報道局長で、あらたなつながりができた。第三代目の部長が、あまちゃんの音楽で有名な大友良英さんだということを聞き、当時、生業訴訟の裁判の度に原告団を相手に実施していた講演会にお呼びすることを計画した。大森さんが仲介してくれたので、二つ返事で引きうけてもらえることになる。大友さん、昨日のNHKの「アサイチ」にも出ていましたね。
本日、大友さんは、福島地裁前でお昼頃に開かれる生業訴訟の第二次提訴行動に参加していただける。その後、原告団長の中島さんとの対談があり、夜の福島ツアーのご一行の懇親会にも参加してくれることになっている。生業訴訟のなかで生まれた『福島が日本を超える日』を読んだ札幌から参加するツアーの人が、「どうしても大友さんと会いたい」と、これもわがままを私に言ってきたので、心を鬼にして頼んだ結果である。本当にありがとうございました。
明日は飯舘村を経て浜通りに向かう。飯舘村では、テレビ局を退職して村の職員になった大森さんが出迎えてくれる。給与は半分になったけど、そこに生きがいを見いだしたんだね。いろんな人生があって、私も、これからの人生をどうするのか、いろいろな可能性に挑戦していきたいと感じる。
伊勢崎さんとはその後もずっと付き合っているので、「自衛隊を活かす会」につながっているんだよね。その伊勢崎さんと山尾志桜里さんとの関係が生まれたので、今月31日の公開討論「安倍加憲論への対抗軸を探る」も実施できたんだよね(これは申込が多くて、あと数日で締め切りになりそうです)。秘密ですが、いま空想の段階から現実に移せる段階になったのは、伊勢崎さんのジャズセッションを国連会議場でやる企画です。
もう今年で7年目だし、10年目は会社を退職していてツアーは実施できないので、今年で終わりかなと感じてきた。でも、こんなことを続けていると、人のつながりがどんどん増えてきて、来年はこんな挑戦をしたいなと思わせてくれるものもあるんだよね。さあ、どうしましょうか。
2018年3月8日
明日から福島行きで、バスのなかでは思うように仕事もできないので、東京にいる間に忙しくしています。ということで、ブログは考えないで済む簡単なことに。
3.11が人びとの分断を生み出したとはよく言われます。いまでも深く広がっていて、それをどう克服するのか、日夜努力している人びとがいます。
しかし同時に、私にとっての3.11は、新しい人びととのつながりをもたらすものでもありました。もちろんそれは、分断を克服するだけの広がりと深まりをまだ持っていないので、まだまだこれからなのですが。
1年目の3.11に浜通りで被災者を対象としたイベントをすることを思いつき、それなら蓮池透さんと伊勢崎賢治さんをお連れしようと考えたことは、何回か書きました。それが発端になって、いろんな結びつきができた話です。
イベントをするといっても、現地で受け入れてくれる人がいないと、ただただ空回りするだけです。困ったなあと思っていて、そのときふと脳裏に浮かんだのは、蓮池さんの『拉致 左右の垣根を超えた闘いを』を出版した時、相双(相馬と双葉)教職員9条の会が蓮池さんを呼んで講演会を開いてくれたことでした。
過去のアドレスを探し、メールをくれた方に連絡をとったら、当時、会員の半分くらいは相双にいなくなっていたのですが、ご本人は残っておられて、そういうことをやるならと関係者を集めてくれたのです。それが現在につづく現地の受け入れ体制につながっています。
その関係者の一人に相馬のスーパー経営者の中島孝さんがいました。なんと、3.11直後に弊社が出した『福島は訴える』の著者のお一人でもありました。その数年後、福島で4000名の原告を擁する生業訴訟が開始され、中島さんが団長になったのですが、訴訟の本を出そうという話になったとき、「出版社はかもがわしかないでしょう」と言ってくれたので、現在につづく生業訴訟との関係が生まれたのです。
2年目のツアーからは、ずっと池田香代子さんが同行してくれています。そうなったのも、もともとは、蓮池さんの本を出したけれど、左翼や平和主義者が無視していた初期に、池田さんがご自分が住んでおられる杉並の住民運動団体に蓮池さんを呼んでくれて、そこに私も参加して、はじめてお会いすることになったのがきっかけです。
その池田さんと、2年目のツアーに誰をお呼びしてお話を聞くかとご相談していて、当時、被曝関係の情報の事実を熱心に発信しておられた東大の早野龍五さんを是非にということになり、東大まで二人でお訪ねしました。その際は実現しなかったのですが、それから五年を経て、早野さんは弊社が一月に出した『しあわせになるための「福島差別」論』に寄稿してくださいました。
3.11がなければ、こういうつながりはなかったんですね。明日は、伊勢崎賢治さん関係で。(続)
2018年3月7日
昨夜は「自衛隊を活かす会」の抑止力連続講座。栗崎周平さんの講演は新鮮で、参加者にとって大いに勉強になったと思います。終了後、今後の企画をどうするか相談しました。引き続きご案内しますので、乞うご期待です。
その席上、「自衛隊を活かす会」の今後のことを、代表の柳澤協二さんと話し合いました。この会、当初、防衛政策にかんする提言を出すことを目的にして出発したので、それを出した2015年5月の時点で終わっても良かったんです。
だけど、新安保法制は議論が継続していたし、南スーダンへの自衛隊派遣も問題だったし、解散するわけにはいかなかったんです。それで、「憲法改正の国民投票が終わるまでは活動しよう」ということでやってきました。その国民投票が現実のものになっているので、さあ、いつまでやりましょうかということなんです。
現行憲法下での防衛政策を探究するというのが、この会の一致点です。みなさん意欲的に取り組んでもらっているわけですが、同時に、私としては、柳澤さんのような地位の方をこんなところに引っ張り込んで、ご迷惑をおかけしているのではという気持ちも片隅のほうにあります。だから、いつまで続けましょうかと、いつも迷っている状態です。
さて、その柳澤さん、国民投票が終わってもとりあえず続けましょうということでした。国民投票で負けてがっかりする護憲派を元気づけることも大事だからと。
そこで私は、勝ったら勝ったで、「自衛隊を活かす会」の役割はもっと大事になりますよね、と応じました。「これで平和国家のままだ」と安心して、現状維持が続くのはもっと良くないのでね。
ただ大事だというだけでなく、柳澤さんが楽しいと感じてくれているなら、私としてはうれしいのです。「楽しい」と答えてくれたので、私も堂々と前に進めます。
ということで、この会、まだしばらく続きそうです。活動経費をどう捻出するか、真剣に考えなければ。
2018年3月6日
またまた出張です。前回の出張はかなり身体に応えて、ほどほどにしないとと反省したけれど、今回、さらに長いし(11日の深夜に帰宅)、福島往復はバスだし、どうなることやら。
東京ではまず、「自衛隊を活かす会」の抑止力連続講座です。とりわけメディア関係の方々から、「どうしても勉強すべきもの」という積極的な反応があります。そうでしょうね、大事な問題でありながら、国民的な議論がされてこなかった問題です。
これは個人的な観測ですが、抑止力に替わる新しい防衛戦略を確立するには、国民的な議論を喚起するような分かりやすい提起が必要だと感じています。なじみの薄い防衛分野だけれど、誰もが分かるような提起です。
例えば、私が考えているのは、「非核三原則」を「非核四原則」に格上げしようというものです。どうやって?
「持たず、つくらず、持ち込ませず」から、「持たず、つくらず、持ち込ませず、使わせず」にするというもの。どうでしょうか。
抑止力というのは「使う」ことを前提とした戦略です。「使わない」と言ってしまったら、抑止力ではなくなるわけです。
しかしこの日本では、アメリカに頼るということでずっぽりと安心しきってしまい、抑止力への疑問が出てきません。しかも、なじみのある非核三原則の議論では、「持ち込み」ばかりに議論が集中してしまって、抑止力というのは日本がアメリカに核を使わせる戦略だという認識が抜け落ちてしまいます。
そこの議論を喚起するには、こんな提起が必要だと思うんですけれどね。まあでも、連続講座を続けていって、来年の改憲国民投票までには、何らかの回答を提起できればと考えています。
明日と明後日は、おもに、年末に開いた北朝鮮の核・ミサイル問題での「自衛隊を活かす会」のシンポの内容を本にする仕事です。朝鮮半島の南北会談がどう推移するのかをはじめ、ずっとアクティヴな話題であり続けるわけで、大事ですよね。
そして、9日から11日まで、これで7回目となった2泊3日の福島ツアー。今回は、1日目が生業訴訟の第二次提訴行動に参加し、あまちゃんの音楽で有名な大友良英さんと原告団長の中島孝さんの対談を聞いたりします。夜の懇親会にもお二人は参加予定。
翌日は、午前中、『しあわせになるための「福島差別」論』の著者である清水修二さんと池田香代子さん、『広島の被爆と福島の被曝』の著者である斎藤紀さんをお迎えし、パネルディスカッション。午後は、飯舘村を経由して、浜通りに向かいます。飯舘村では、テレビユー福島の報道局長を退職し、村の職員となった大森真さんに案内をしていただきます。大森さんは福島高校ジャズ研の初代部長で(大友さんが三代目)、3年目のツアーだったか、伊勢崎賢治さんと福島高校ジャズ研がコラボしたとき、いっしょに演奏してくれました。
そして最終日の11日。浜通りをいろいろ見た上で、2時43分に南相馬市の市役所で黙祷し、一目散に東京へ。そして夜の新幹線で京都へということです。
疲れて当然ですよね。でも、7年間、ずっとやってきたことなのでね。