日米関係の大きな転換点かな

2014年4月24日

 中身は想定の範囲内だったけど、形式はかなり違ったよね。そんな感じがするんだけど、どうでしょ。

 これまで、日米の軍事関係というのは、アメリカが日本に何らかのものを求めて、日本がそれにどう応えるかという問題であった。すぐに応えたり、世論状況を見ながらゆっくりと応えたり、やり方にはバリエーションがあったけど、そういうものだった。

 だけど今回、そこが逆転したわけだ。尖閣の問題も集団的自衛権の問題も、日本側がアメリカに求め、アメリカがしぶしぶと従うという関係である。アメリカは、軍事よりも経済の方を重視した。そこをどうみたらいいのだろうか。

 やはり、大きくいえば、経済重視という世界の流れがあって(そこにある思惑は各国さまざまだが)、それにふさわしい安全保障関係はどういうものかという模索がある。とくに台頭する中国との間で、経済と軍事をどうバランスさせるかという複雑な問題がある。

 アメリカはその問題に挑んでいるが、まだ回答が見いだせていない。一方の日本は、そこに問題があることさえ認識せず、経済の現実をはなれて冷戦型の安全保障思考に陥ったままである。

 その古い思考の日本に対して、アメリカは、それではダメだという認識がある。だから、靖国参拝の問題では強い意見をいうし、尖閣や集団的自衛権でも躊躇がある。しかし、自分の戦略をまだ見いだせていないものだから、日本が強く出れば、「まあ、いいか」という程度で応える。

 こんな感じかなあ。だからやはり、この東アジアの経済関係にふさわしい安全保障関係というものを、誰がどうやって打ち出していくのかが問われている。

 安倍さんは、強大化する中国を前にして、それに対抗できる軍事力という思考である。単純だけれども、単純なだけに分かりやすく、伝わりやすい。しかし、それでやっていっても、中国の軍事力は、こんごどんどん強大化してくる。それにおつきあいして日本も軍事力強化路線を走ったら、アメリカとの軍拡競争で滅びていったソ連の二の舞になるだけだろう。

 それだったら、言葉は適切ではないが、弱者の軍事戦略を確立した方がいい。日本からは挑発しない(防衛力強化するのに大声を出さない。静かに実施する)とか、日本から先に自衛隊を出すことはしない(どうせなら相手に先に出させて国際的な批判の対象にする)とか、平時には海賊対策などで相手のいのちや財産を救ってあげる(相手の戦意を奪う)とか、そんな戦略も必要である。

 安全保障は声の大きさじゃなくて、思考の深さが大事。「自衛隊を活かす会」の第1回シンポジウム、すごいメンツがそろいそうです。6月7日(土)の午後1時半から、東京。

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