集団的自衛権に関して寄稿

2014年5月27日

 京都で活動するある革新団体の機関紙から原稿を依頼されました。集団的自衛権について1000字でということです。さっき、それをメールで送ったので、ここでも紹介しておきます。

 安倍首相が集団的自衛権の行使に向けて前のめりになっています。そのキーワードは「限定容認」。日本と日本国民の安全にとって不可欠な場合に限定して行使できるようにしようという建前です。四月一五日の記者会見では、有事にアメリカの艦船で日本の母子が避難する絵を前面に掲げ、この艦船が攻撃されたときに自衛隊が守れないでいいのかとくり返しました。

 それを見て、「待てよ」と思ったのは私だけではないでしょう。これまで安倍首相が強調してきたのは、公海上の米艦船が攻撃されたとき、自衛隊がそれを防衛できなければ日米同盟が崩壊してしまうということでした。それでは国民の支持が広がらなかったので、日本の母子が攻撃されようとしている場面を提示したということでしょう。しかし、日本国民の命が危機にさらされるなら、それを救うための行動は個別的自衛権に属することです。集団的自衛権のための解釈改憲など不要なのです。

 そういう性格のものだけに、有事に日本人を避難させる法律は、すでに出来上がっています。一九九四年に自衛隊法が改正されて自衛隊の航空機にその役割があたえられ、九九年からは護衛艦や輸送艦でも可能になりました。安倍さんを筆頭に自民党のみなさんは、有事にアメリカは自国民救出で精一杯だから、日本人は日本が救出しようと主張して、この体制ができたのです。それなのに、いまになって日本人を救出するのはアメリカだと言いだすとは、開いた口がふさがりません。

 結局、安倍首相は、集団的自衛権を行使できるようにするため、どういう事例を持ちだせば国民をだませるかと考え、思いつきを発言しているだけなのです。解釈改憲のために、国民の命と日本の防衛をもてあそぶものだと言わざるを得ません。

 しかも、安倍首相は昨年、侵略の定義は定まっていないと発言しました。どちらの国から見るかによって、侵略が自衛になったりするというのです。実際、冷戦期に行使された集団的自衛権の行使の実例を見ると、ソ連のアフガン侵略、アメリカのベトナム侵略に代表されるように、実際には侵略をしていながら、それを集団的「自衛」権だと言いくるめたものばかりでしたから、安倍首相の見解はこの問題では妙に当てはまっています。

 侵略を自衛だと強弁し、アメリカのために戦うことを日本国民の命を守ることだとすり替える。これが安倍首相のねらう集団的自衛権の解釈改憲です。この企みは絶対に許してはなりません。

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