香港学生闘争の「引き際」を考える

2014年11月26日

 なかなか難しい局面を迎えているようですね。この問題は、現実の運動において、かかげた目標を実現できないとき、どのような終わり方が求められるかという、すごく大事な点を含んでいると思います。

 いまはあまり見られなくなりましたが、日本でも同じようなことがありました。たとえば、賃上げとか整理解雇反対とかをかかげ、労働組合がストライキに入るようなケースです。

 そういう場合、目標が実現できれば、そこでストライキは終わるわけです。ただし、目標に届かない方が多いわけですよ、実際にはね。相手は何と言っても強いですから。

 ストライキが長引くと、いろいろ否定的な要素も生まれます。一カ月もやれば、組合の闘争基金も底をついてきて、その間の給与はどうするのだということになります。

 その結果、当然のこととして、もう終わりにしようという意見とか、目標を実現できない執行部に対する不満も出てきます。そこを相手が突いてきて、運動を分断させるようになってきます。いまの香港がそういう局面なわけです。

 だから、こういう闘争というのは、終わり方が大切なんですね。目標の実現も大事だけど、闘争に参加している人の間の団結も大事で、運動が広く社会的な支持を得るということも大事で、それら大事なことのバランスを考えながら終わるという、そんな「引き際」の判断が大事なんです。いま引くことが、次の闘いを新たな段階に引き上げるのだという、そんな終わり方を納得することが大事なんです。

 香港の学生はよくがんばったと思います。何と言っても相手は巨大な独裁国家です。香港返還のときは、経済的な利益のためにも香港の制度を尊重するという態度をとったけれど、その後、中国本土が独裁下で経済発展をしたこともあって、独裁に自信を深めているようなところもあります。

 その中で、これだけの闘いを組織したわけです。経験もないのに、よくやったと思います。

 香港の学生は、掲げた目標は実現できていません。しかし、次の闘いにつながる新しい活動家を生みだしたとか、次の闘いも世界の共感を得ることができると確信が持てたとか、いろんな別の成果を生みだしました。そういうことをみんなの共通の思いにして、次のステップに踏みだしてほしいと思います。

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