『慰安婦問題をこれで終わらせる。』販売開始・上

2015年4月22日

 本日が発売日です。といっても、地域とか書店の事情がありまして、すべての書店に並ぶのは週末からです。それならアマゾンでと思われるでしょうが、発売直後から在庫切れになっていまして(入荷時期未定ってなってますけど、小学館のような大手でも、アマゾンをコントロールできないんですね)、早くお求めになりたい方は、週末に書店に足を運ぶことをお勧めします(私が謝るのも変ですが、申し訳ありません)。

 なお、小学館のサイトで、この本のお薦め点が確認できます。そこでは、「はじめに」どころか「第一章」の途中まで立ち読みもできるようになっています。ご覧いただけるとうれしいです。

 さて、これから時々、この本を買について書いていかねばなりません。買ってみたいなと思っていただかないといけませんしね。

 やっぱり、最初は、書く動機です。門外漢の素人がなぜ書こうと思ったのか。

 直接の動機は、世の中の雰囲気に耐えられなくなったからです。問題が、論争の範囲を超えて、生活圏に入ってきたからです。

 慰安婦にせよ歴史認識にせよ、いろいろな議論が激しく闘わさせるのはいいことです。私自身も、その論争の当事者でありたいと願います。しかし、韓国との関係の問題は、いまそういう問題ではないと思います。

 90年代、河野談話や村山談話が出て、アジア女性基金が誕生した頃までは、そういう論争の末、問題を解決しようという大方の世論の合意がありました。しかし、河野談話や女性基金では解決がつかなかったことをきっかけに、世論の風向きが変わり始めました。

 それでも、10年ほど前、『嫌韓流』が世に出たくらいまでは、こんな議論が堂々とまかり通るようになったのだと、あきれはしましたが、間違いは間違いとして批判すればいいという程度の問題だと認識していました。ただし、『嫌韓流』というのは、たとえば日本の植民地支配はすべて悪だったのか、教育を普及させたこととかインフラ建設などはどう考えたらいいのかなどの問題で、よくよく考えなければならない問題も含まれていたとは思います。そこに機械的に対応すると、歴史を単純化させてしまい、重厚な歴史観から遠ざかるような面がありました。ただ、いずれにせよ、論争すればいい問題だった。

 けれども、いまは、全然違いますよね。書店に行けば嫌韓本が山と積まれ、居酒屋では韓国批判で盛り上がるなど、生活空間に入ってきています。論争というより悪罵。

 しかもそれが右派に固有のものというわけでもない。小学館の人から聞いた話ですが、ヘイトスピーチに反対するある団体が右翼雑誌の編集長を呼んで議論する場をつくったそうなんですけど、その編集長曰く、「出席者の誰も弊社の雑誌を読んだことがなかった」そうです。議論って、相手の言うことをよく聞いて、批判すべきは批判するけれど、貴重な中身があれば「なるほど」と思うことですよ。それ以前に、相手が書いていることを読まないんですから、議論じゃないんです。

 そういう世の中に異議を申したてたかった。そんな世の中に住みたくないでしょ。だから、1年ほど前、『超嫌韓流』と題する本を書くんだと、このブログでも宣言したのです。(続)

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント