『慰安婦問題をこれで終わらせる。』販売開始・下

2015年4月26日

 書く本のテーマを慰安婦問題にしぼることに決めたものの、当然のことながら、それまで深く勉強したことはありませんでした。ただ、いろいろ問題意識をもったことは、過去、何回かありました。

 最初は、「あとがき」に書いたことですが、共産党の政策委員会というところに勤めていたときのことです。1995年の戦後50年にあたり、戦後補償問題をどうするかという共産党の見解を出すことになり、その起案を命じられたのです。私は、共産党の政策というのは、被害者の要求に全面的に応じるのだと思い込んで準備していたのですが、当時の宮本顕治議長から、そうではないという意見があったのです。

 それ以来、国民の要求と政治の対応について、いろいろ考えさせられました。まあ、考えてみれば当然のことで、すぐに何でも実現することが可能なら、共産党だって共産主義の即時実現を掲げるわけですよね。しかし、目標の(あるいは理想の)実現には、それに至るステップが必要なのです。要求を掲げてがんばるのが市民団体ならば、実現可能なステップがどこにあるのかを見極めるのが、政治の役割なのだと思います。

 共産党を退職したわけですから、別に、私が実現可能なステップを考える必要はないのです。だけど、慰安婦の方々を見ていると、誰かがそれを提示しないとダメだと思ってはいたのです。だって、せめていま生きている慰安婦の方々には、日本政府が誠意ある対応をしてくれたと感じて、平穏な気持ちになってもらって、晩年を過ごしてほしいじゃないですか。

 でも、この問題では、理想をかかげてがんばる人たちと、慰安婦問題は存在しないと主張する人たちが対立するだけでした。お互いが合意できる実現可能なステップを提示しようという人は現れなかった。そんなことをすれば、両方から批判されるわけですから、当然かもしれませんけれど。

 それで、誰もやらないなら、自分がやろうという感じですかね。左右の両方から批判されるのには慣れていますから。というか、左右の両方から批判されるようでないと、常識的なものは示せないと革新していますから。その結果がどうなるか、まだ見通せませんけど、きっと理想に向かう妥協の道が、少しずつ現実のものになっていくと思っています。

 なお、宮本さんと直接に話す関係にあった方が、この本を読んで感想を寄せてくれたのですが、宮本さんは、共産党の国会議員が慰安婦に土下座するようにして謝罪するのも良く思っていなかったそうです。国家としての反省は必要だが、なぜ植民地支配に反対した共産党が謝るのか、ということだったとのこと。宮本さんのことは、深めてみたいですよね。この方でしか書けないだろうという方に、評伝を書いてほしいと依頼しているので、ご期待ください。
 

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