安倍さん、ガンバレ

2015年8月25日

 先週、週刊文春が安倍さんの「吐血」を報道して、その健康状態をめぐる議論があった。首相の健康状態というのは、ジャーナリズムにとって「おいしい」話だから、根拠が確かだろうが薄弱だろうが、それに飛びつくのは宿命とも言えるのだろう。

 だから、それ自体はどうでもいいのだが、びっくりしたのは安倍さんと対決して運動している側にも、その報道に飛びつく人がいたことだ。病気に「期待」するかのような露骨なものから、病気が「心配だから」というものまであったけど、病気を理由に安倍さんに首相を辞めてほしいというのは共通していた。

 それって、どうなんだろう。安倍さんに辞めてほしいというのは同じ気持ちだけれど、そこに「病気」をからませるって、まず直感的に、人の病気が悪化することを望むみたいで、いい気持ちがしない。

 本当に首相の仕事ができないほどの病気なんだったら、辞めるのは当然である。だけど、そもそも戦後70年談話の記者会見でも見たように、元気たっぷりのようだ。仕事の中身は評価しないけれど、仕事はしているわけである。

 安倍さんがかかっている潰瘍性大腸炎って、いい薬ができたそうで、もう難病とはいえなくなったという話もある。仕事をこなしている姿を見て、同じ病気をもっている人は、本当に安心しているだろう。自分も大丈夫だと。それが、やはり仕事ができないとなったら、どんなにがっかりするだろう。病気辞任を期待する人には、是非、そんな患者さんの気持ちをくんでほしいと思っている。

 それよりも大事なことは、たとえ安倍さんがいま辞めたところで、安倍さん的なものはそのまま残ることである。90年代半ばから自虐史観批判をはじめた安倍さんたちのグループが、20年をへて社会の主流になり、安倍さんを首相にまで登り詰めさせることになった。この間、いろいろな批判を浴びつつ、3回もの国政選挙でも安倍さんが勝利するというのは、その世論構図があることを意味している。

 その安倍さん的なものを乗り越えるだけの思想と運動をつくりだすことによって、安倍さんを首相の座から引きずり下ろすのでない限り、安倍さん的なものは残る。そして、いつでも顔を出す。

 病気で辞任することになったら、そのことが見えにくくなってしまうだろう。だから、そういう思想をつくりだして撃破したんだと言えるようになるまで、安倍さんにはがんばってもらわなければならない。

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