放射線リスクの考え方・下

2015年10月3日

 最後です。国や東京電力は、「年間20ミリシーベルト被ばく相当の健康リスクは、喫煙、肥満、野菜不足などの他の発ガン要因によるリスクと比べても非常に低い」と主張しています。そして、20ミリシーベルト以下の地域への帰還政策を進めています。そういう状況下で、中谷内先生の証言は、いろいろと考えさせるものがありました。以下、引用。

 非常に低いという論理は分析的システムによって理解はできるかもしれません。しかし、より優先する経験的システムや、それに基づくリスク認知2因子の特徴を考えると、容易に受け入れて、安心できるとは考えにくいです。

 (2因子のうち「恐ろしさ」について)
 今回の事故は、……炉心を制御できなかったという点が、制御可能性という点にあてはまります。 原子炉建屋が爆発する映像や防護服を着た人の映像などがくり返し報道されましたから、一般の人はどうしたって恐ろしいという感情を抱くことになります。
 また、今回の事故で放出された放射性物質は、海外でも観測されており、世界的な惨事になる可能性もイメージできました。
 ……

 (2因子のうち「未知性」について)
 放射線や放射性物質は、目に見えませんし、音も出しませんし、匂いもしませんから、直接観察ができません。
 放射線に被ばくしても、すぐに被ばくしたことや被曝量が分かるものでもありませんから、リスクにさらされていることを正確に理解することは困難です。……
 過去に、放射性物質をめぐる事件としては、ビキニ事件やチェルノブイリなどの経験はありますが、日本では、一般市民が水や食品などの放射性物質を気にしなければならない事態ははじめてであり、市民にとっては、新しいリスクということができます。
 放射線被ばくの健康影響については、……客観的に見れば、科学的研究は進んでいるということもできますが、とくに低線量被ばくについては、専門家の評価も分かれていると言われており、論争も続いていますから、一般の人から見れば、科学的理解が必ずしも進んでいるとは評価できにくいと思います。

 (医学的な情報を提供すれば恐怖感は不安感は解消するか?)
 必ずしもそうではありません。
 まず、提供される情報は放射線被ばくというネガティブなもので、……そういった事について考えることそのものが心地よいものではありません。ガンや白血病の可能性について考えるのですから、そのこと自体が不安のもとになるでしょう。……情報を提供することで住民が不安になることがあるとしても、それはそれで進めるべきだと考えます。情報が隠ぺいされたり、何の情報もなく不安になるよりはよほど良い状況だと思います。ただ、よほど良いと言っても不安は不安でしょう。
 ……これは私の専門外なので、詳しく述べることは控えますが、低線量被爆のリスクについては、安全と考える見解や、逆に危険と考える見解など、さまざまな見解があります。そのような中で、一般人は、情報を判断することは困難です。むしろ、さまざまな情報があり、見解が分かれていること自体が、一般人の不安を増大させるとも言えます。
 ……情報の提供(リスクコミュニケーション)には、情報発信者に対する信頼が重要ですが、そのような信頼は得られていません。信頼には、「非対称原理」というものがあり、信頼を構築することは難しいが、一方で信頼が崩壊することは容易いとされています。原発事故後の政府や東電の対応を見れば、崩壊した信頼が回復することは、とても難しいと思います。

 (欠如モデル)
 欠如モデルとは、科学的知識について、一般人の側は欠けており、専門家の側は足りているということを暗黙の前提として、一般人は問題となっている科学的事象について、知識や理解がないために、非合理的な恐れや不安を抱くが、知識や理解があれば、そのような非合理的な恐れや不安を抱かなくなる、という考え方です。
 しかし、アメリカでの研究などから、(前回指摘した二重過程理論などにより)欠如モデルは簡単に機能しないことが分かっています。
 分析的システムを備えていても、経験的システムの判断を批判的にチェックするというよりも、むしろ、その判断を正当化する形で機能しやすい。……分析的システムを働かせる中で、これらたくさんの情報に接することになるので、その中から、自分の態度や行動を正当化するような情報をより選ぶ、ということです。

 (その他)
 (1次バイアスとは)人がある物事が起こる頻度の想定をする場合、実際には低頻度の事柄を過大視し、逆に、実際には高頻度の事柄を過小視するという、一般的な傾向です。
 低線量被爆の発ガンリスクというのは、低頻度と考えられますので、1次バイアスによって、過大視するという傾向は、当てはまります。
 (認知的一貫性とは)人間は自分のとった行動・態度に矛盾が生じないように動機づけられるというものです。避難した人は、自分劣った行動に矛盾が生じないように、放射線に対する不安を持ちつづけようとする心の動きがあります。一方、避難しなかった人は、自分のとった行動に矛盾が生じないように、放射線に対する不安を感じないようにしようという心の動きがあります。(了)

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