現実的護憲論と理想的改憲論

2015年10月13日

 一昨日、ゴー宣道場に出てきました。小林よしのりさんをはじめ改憲派が5人もいるなかで、完全アウェーでしたけどね。

 休憩を挟んで後半になり、私は、新安保法制発動の焦点となってくる南スーダンや南シナ海の現状はどうなっているかを示しつつ、南スーダンでは自衛隊の部隊を撤退させ、非武装の軍事監視要員として幹部自衛官を送ること、自衛隊と中国海軍それぞれがジブチ等に基地を置き、スーダン沖の海賊から船を守るために活動している経験をふまえ、南シナ海でも共同の警戒監視を行うことを提唱しました。そうやってアメリカとは異なるやり方でやってうまくいくことを国民が一つずつ体験すれば、日米安保に依存せずともやっていけるという合意が生まれていき、やがては安保の廃棄につながっていくし、武力を行使しないという点で憲法九条でやっていけるという合意も生まれることを強調したのです。

 それを聞いていた小林さん、突如としてニートのお話をされました。子どもが引きこもっているとして、少しずつ外の暮らしを体験させつつ、独り立ちができるようになったら手放すというようなやり方はとらない。自分ならすぐに外に放り出すのだとおっしゃりました。それが思想家としてのつとめだとも強調されました。私の名前は出さなかったけれど(完全アウェーだから配慮して下さったんでしょうね)、私の接近方法への批判だったのでしょうね。

 なぜ、そこだけ書いたかというと、それが一昨日の議論を象徴していたからです。この議論を聞いていた人が、あとで私に言いました。これまで改憲派と護憲派の議論って、護憲派が理想を主張し、お花畑だといわれても屈せずにやってきた。改憲派は、リアルな情勢論を示して、武力の必要性を説いてきた。だけど、この議論では、松竹さんがリアリズムを強調し、小林さんが理想を強調していて、逆転したみたいだった、と。

 そうかも知れませんね。だけど一方で、私はやはり理想があるからいちおうは護憲派なのだし、小林さんも安倍政権のもとで改憲されるということは危険だというリアリズムはあるわけです。国民を守るために自衛隊が必要だということで一致しているなら、共通する部分は見いだせるのではないかというのが、私の感想でした。

 さて、ゴー宣道場50回記念企画でしたが、これを本にするつもりです。改憲派と護憲派の議論って、これから本格的に必要になってくるわけで、その先陣を切るものにしたいと考えます。かもがわ出版が小林さんの本を出すって、抵抗を感じる人もいるでしょうけれど、これまでも防衛省幹部の本とか出す度に「かもがわ出版は変節した」といわれてきましたし、私は慣れているんですよ。それに、改憲派と護憲派の対話を本にしようとすると、どうしたって別の考え方の人を登場させないとできないわけですから、読者にとって気にくわない人の本でも出すのは当然だということで、ご了解下さいね。

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント