ドイツへの道は近い?遠い?

2015年11月6日

 自衛隊を活かす会が、来年、「戦場における自衛官の法的地位」の問題で研究会を行うことは、すでにお知らせしています。そのなかの一つとして軍法会議のないドイツの制度と運用を研究するため、ドイツから専門家を呼ぼうとしていることもね。

 でも、この問題、ほとんど日本で関心のある方がおられず、先が見えなかったんです。そこに協力してくださると表れたのが、京都女子大のある先生でした。その先生のおかげで、ドイツ連邦軍中尉だった方で、適任の方がいることがわかって、まだ連絡はとれていないのですが、少し先が見えてきました。ありがとうございます。

 それで昨日、京都女子大に行って、打合せをしてきました。そうしたら、ドイツの軍事裁判のことではないけれど、ドイツ兵の法的地位について取材し、本を出している新聞記者がいると教えられました。

 予想ですが、ドイツの方に来ていただいて話を伺っても、あまりに日本と制度や概念が違って、理解に達するのに困難があるように思います。ある程度、共通の理解があって、ようやく言葉が通じるというような感じかな。

 ということで、その新聞記者の方をお呼びし、事前に、小さな規模の研究会をしようということになっています。仕事が早いのだけが私の取り柄なもので。

 その打ち合わせを終えたあと、せっかく京都女子大まで来ているのなら、ここに足を伸ばしたいというところがあったんです。豊国廟といって、豊臣秀吉のお墓ですね。以前、グーグルマップで見て、京女に仕事で行ったときは必ず訪ねると決めていたんです。

 地図で見ても階段がたくさんありそうなので、一応、覚悟はしていました。ところがいつまでも階段が続いて、ようやく350段ほどで着いたと思ったら、そこからまた階段が。結局、520段以上ありました。あの金比羅山が1368段といいますが、それは最初からそれだけの規模の覚悟があって登るわけですから、ちょっと寄ってみようという程度の覚悟だった私には、それなりにきつかったです。久しぶりに膝が悲鳴をあげていました。

 まあ、何としてもドイツにたどり着かねばならないわけですから、この程度で音をあげるわけにはいきません。でも、少し近づいてきたかなあ。

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