今年もよろしく

2016年1月5日

 新年になりましたね(いまさら遅い!)。お正月はいかがお過ごしでしたか。

 私は一日も欠かさず出版予定の本を書いていました。昨年のブログにも書きましたが、今年も2冊の本を出す予定でして、一つは『対米従属の謎──70年以上経ってもなぜ変わらないのか』。こちらは出版社は決まっています。お正月に書いていたのは、もう一つの方で、『自虐も栄光も超えて──安倍晋三氏への手紙』です。こちらは、チャレンジング過ぎて、まだ出版社は決まっていません。

 安倍さんが年頭会見で「挑戦」を10回以上使ったことが話題になっていますが、本当に安倍さんはチャレンジしていると思います。昨年の70年談話、年末の慰安婦合意と、歴史認識問題でもウィングを左に伸ばそうとしています。そのめざすところは、やはり参議院で改憲発議可能な3分の2ということでしょう。

 その安倍さんのチャレンジに対して、こちらが同じ論理、考え方で対抗していては、打ち負かすことはできない。そういう思いが、この本を執筆している動機です。

 これまでと違う考え方のものなので、それに慣れた目で見ると、きっとあまりにチャレンジング過ぎると思います。2年半前に出版した『憲法九条の軍事戦略』のときと同様、賛否両論が入り乱れることでしょう。

 この本を書くために必要となって、2日にアマゾンに注文した7344円の本が、翌日に届きました。すごい早さ。

 この本を使って、『自虐も栄光も超えて』のなかで、ある仮説を打ち立てます。国連憲章51条は日本がつくったようなものだという仮説です。

 「武力攻撃が発生したとき」でないと「自衛権」が発動できないという51条は、当時の国際法では考えられない高い水準だったんです。侵略されたら自衛権が発動できるとされてきましたが、その「侵略」ってもっと緩い概念だったんですよ。日本だって、アメリカの経済封鎖で追い込まれて「自衛」権を発動したわけですが、侵略には経済的な圧迫も含まれるという考え方もあったのです。

 だけど、51条でそう規定されたことによって、戦後、何か戦争が起きる度に、「51条に照らしてどうなんだ」と議論されることになります。その積み重ねを通じて、次第に51条が基準となっていきます。

 国連憲章草案をつくった当時のアメリカの国務長官は、あの「ハル・ノート」のハルです。憲章の武力不行使原則(2条4項)について、「絶対的に武力行使を禁止しなければ」と強い気持ちでつくったことが分かっています。おそらく、ハルの頭にあったのは、日本のことだったと思います。51条は後に突如として挿入されたもので、経過は別なんですが、日独伊の軍事同盟型のような軍事行動をどう抑えるかという、強い問題意識があったのですね。

 「侵略」という用語が、現在使われているような意味で国際条約にあらわれるのは、1919年のベルサイユ条約です。第一次大戦で負けたドイツから賠償を取り立てるため、ドイツが「侵略」したから責任をとれということで使われたのです。

 51条の誕生にも同じような経過、思考があったと思います。6日間の休みでほぼ半分(5万字)を書き終えました。あとは休みが続かないので、完成は2月末かな。

 そんな本で良ければ、どこかの出版社の編集部のみなさん、チャレンジしてみませんか。お待ちしています。

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