甘利さん、過去の経験は通用せず

2016年1月22日

 自民党の政治家がカネにまつわる疑惑にさらされることは、これまでも何回もあった。政治家が国会で追及される場面を、いったいどれほど目にしただろうか。

 昨日の甘利さん、疑惑を追及されても逃げ切ってきた過去の自民党の体験をふまえ、答弁していたと思う。だけど同時に、過去の経験だけでは対処できないという、ある種のあきらめのようなものも漂っていた感じがする。

 リクルート事件があったとき、本当にたくさんの政治家の名前が出てきた。リクルートの未公開株をもらった国会議員は90名といわれ、森喜朗さんは株を売却して1億円の利益を得ていた。中曽根さんや竹下さんなど大物政治家も多かった。だけど、大物は誰も起訴されず、政治家としては藤波官房長官と公明党議員一人にとどまる。

 この際の国会での追及を見ると、「総理の犯罪」といわれたロッキード事件の教訓を学んだと思えた。何かというと、疑惑を持たれた政治家が、外形的事実は認めるが、内部的事実は認めないというやり方をとったということだ。

 外形的事実というのは、いつ、誰と、どこで会ったというようなこと。内部的事実というのは、会って何を話したのかというようなこと。

 「いつ、誰と、どこで会った」などということは、どこかに証拠が残る。完全な密室はあり得ないし、そこに行くのも目撃される可能性がある。ロッキード事件のときは、そういう外形的事実をも認めないと証言したあとで、そのウソがばれて追い込まれる政治家が少なくなかった。

 そこで、リクルート事件のときの竹下さんなどは、率直に外形的事実を認めた。会って話したことは認めた上で、「頼まれごとをした記憶はない」と逃げを打ったのだ。「記憶はない」ということも大切で、「頼まれごとはなかった」というとウソになる危険性があったが、「記憶はない」ということだと、本人の記憶の問題だから、事実が違っていても、記憶が間違っていたということで、ウソの証言にはならないのである。

 甘利さん、そういう自民党の修羅場をくぐり抜けてきた人だから、経験を忠実に学び、再現しようとした。「いつ、誰と、どこで会った」ことは率直に認めた。しかし、お金をもらったかどうかは、口を濁したのである。

 ただ、甘利さんの場合、これで乗り切れるとは思わない。報道によると、会った際の甘利さんとのやりとりのテープも残っているとか。

 甘利さんが生き残るためにやれることは、次に問われる場が来るまでに、そういう証拠類をすべて隠滅することだろう。しかし、テープって複製も可能だし、ちょっと無理なのではないか。完全に追い詰められていると思われる。

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