11年前の懐かしい論文・3

2016年7月27日

 論文の紹介としては最後。明日以降、この論文をめぐって起きた問題を論評します。

(以下、紹介)

3、共同をひろげるうえで日本共産党の責務は大きい

●自衛隊についてのさまざまな意見の違いを超えた共同
 いま、各地の九条の会には、政治信条、党派の違いをこえ、多くの方々が結集しています。その動機はさまざまでしょうが、平和への熱い思いという点では、確固とした一致があります。

 同時に、ではどうやって平和を守るのかという問題では、これらの人びとのなかでも違いがあります。とりわけ、自衛隊の位置づけをめぐって、無視できない違いがあるといえます。大きく分ければ、自衛隊をできるだけ早くなくそうという人びとと、自衛隊の存在や活用は当然だという人びとがいます。そして、第一章でのべたように、自衛隊の存在を憲法に書き込もうという人びとにも、私たちは協力共同をよびかけなければなりません。こういう人びとの強力な団結をつくることなしに、改憲勢力の強大なカに対抗し、打ち勝つことはできません。

 日本共産党は、戦後すぐ、政府(吉田首相)が自衛権を否定していた当時から、「日本は自衛権をもっている」と主張してきました。現在、日本が侵略されたり、国内外で災害が発生したとき、自衛隊の活用は当然だという立場です。

 同時に、安保条約がなくなり、この地域で平和の情勢が展開するのに応じて、国民合意により、自衛隊を段階的に解消することをめざしています。

 自衛隊をなくそうという主張にも、自衛隊を活用しようという主張にも、日本共産党は共感できるのです。このような立場をとるだけに、九条改憲反対勢力を結集するうえで、日本共産党の役割は特別に大きいものがあります。

 この問題は、九条を守ろうという運動を、どのような性格のものとして発展させるべきかという、大きな意味をもつ問題です。少し立ち入って論じたいと思います。

●自衛隊の解消をめざす人びとは重要な役割をもつ
 九条を守る運動のなかで、自衛隊をできるだけ早くなくそうという立場の人びとは、その有力な一翼を担っています。そもそも軍隊と平和は両立しないのだ、と考える人もおられるでしょう。一方、自衛隊はアメリカに従属しているから、そういう現状のまま残しておいてはいけない、という人もいます。

 日本共産党は、九〇年代、憲法九条を将来にわたって堅持するという方針を確立しました。それは、九条の文面どおり、戦力(常備軍)を必要としない時代がやがてはやってくるという、歴史の流れへの確信に裏づけられています。

 本来、第二次大戦が終了し、国連が結成された時点で、そういう方向への歩みが起こるはずでした。しかし、現実には米ソの冷戦が開始され、勢力圏の維持を目的に軍事同盟が各地でつくられ、米ソが日本周辺でも対決していました。そのもとで、九〇年代以前は、九条を政治の大目標としてかかげることはできなかったのです(それでも、九条は日本の軍事大国化の歯止めとして機能してきましたから、その改悪を阻止することは一貫した目標でした)。

 ソ連が崩壊したことにより、その構造が変化したため、九条を将来にわたって堅持するという大目標をもつことが可能になりました。国連憲章が機能する時代が現実のものになる時代が訪れたのです。実際、最近のイラク戦争での国連の役割に見られるように、歴史は日本共産党が見通した方向にすすんでいます。

 これだけの変化があったわけですから、時代の先を見通す力のある人びとのなかで、憲法九条の理想をただちに実現しようとする人びとが生まれたことは、当然だったといえるでしょう。こういう人びとには、九条を守る運動において、引きつづき中心的な役割を担ってもらわなければなりません。

●現時点では、国民意識に立脚しつつ目の前の現実を変えること
 同時に、すでに紹介したように、国民全体からみれば、こういう人びとは少数です。せいぜい一割にすぎず、圧倒的多数は自衛隊を認める人びとです。

 では、自衛隊を認める人びとの認識が遅れているとか、平和への思いが劣っているかというと、そんなことは絶対にありません。日本共産党も、この地域に安保条約があり、紛争の火種があるもとで、自衛隊の活用は当然だと考えています。世界を見渡せば、侵略に訴える国はまだ存在しています。

 日本共産党は、大きな時代認識としては、戦力に頼ってきた時代から、戦力がなくなる時代になるだろうとは見通しているのです。それでも、現時点での政策判断は、現実の情勢と国民意識に立脚したものであるべきだというのが、日本共産党の立場です。

 この大きな時代認識を普遍的な流れにするためには、現実を変えねばなりません。安保条約がなくなることをはじめ、この地域の平和環境が改善されることが必要です。だから、日本共産党は、当面の課題としては、安保条約の廃棄、国連の平和ルールの確立をかかげ、全力をあげているのです。

 しかも、軍隊をもっていれば世界平和に貢献できない、ということはありません。イラク戦争の過程でも、軍隊を保有しているフランスやドイツが、積極的な平和の役割を果たしました。現在の世界では、戦争勢力か平和勢力かの対決は、軍隊を肯定する国か否定する国かではなく、国連憲章の平和のルールを守るかどうか、を軸に争われているのです。国連憲章の秩序を厳格に守る国は、軍隊をもってはいても、立派な平和の勢力になりうる資格をもっているのです。

 さらにいえば、私たちは、憲法九条をもつ国にいるから、軍隊をもたないという選択肢を視野に入れ、活動しています。しかし、世界を見渡せば、そういう選択肢をもった平和運動というのは、そう多くはありません。しかし、そういう選択肢がないからといって、平和運動の価値が減じるということはないのです。

●自衛隊の活用を国民のふつうの感情だととらえて
 このことは、自衛隊の存在と活用を当然だと考えている大多数の国民にたいし、私たちがどう接近すべきかという問題と、密接にかかわっています。

 現在、自衛隊の保有と活用を当然だと考える立場は、国民のふつうの感情に根ざしています。九条を守る運動が、こういうふつうの感情を否定的に見たり、ましてや軍事優先論と同一視したりしていては、圧倒的多数を結集する運動にはならないでしょう。

 私たちは、こういう人びとにたいし、自衛隊はできるだけ持たないようにしようとか、侵略に対抗するのに自衛隊を使わない方がいいとか、そんなことで一致点をひろげるのではありません。自衛隊を活用するという点では、気持ちを共有していることを、率直に表明するのです。そのうえで、日本を海外で戦争する国にしないために、いっしょに九条を守ろうと呼びかけるのです。九条二項に自衛隊を書き込むのには反対するけれども、それは自衛隊の存在と活用を否定する立場からでなく、海外での戦争につながるからだということを、繰り返し説得し、協力関係をつくりあげるのです。

 もちろん、運動の現状は、すでにそういう段階を脱していると思います。実際の運動には、自民党の幹部など、戦後保守政治を支えてきた人びとも参加しているわけですから、自衛隊を積極約に認めたうえで、九条を守ろうという流れも、この運動のたいへん有力な一翼になっています。九条のもつ生命力はすごいと感じます。

 この生命力をさらに輝かせ、九条を守るという強大な国民多数派を結集するうえで、日本共産党の役割は決定的です。そういう自覚をもって、このたたかいに挑もうではありませんか。(続)

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