『「日本会議」史観の乗り越え方』はじめに・下

2016年8月18日

●明治憲法の復活という方針を掲げたことはない

 生前退位問題だけではありません。日本会議が現行憲法を敵視し、幹部が明治憲法時代を懐かしむ発言をしているためでしょうか、日本会議が現行憲法を廃止して明治憲法を復活させようとしていると主張する人もいます。

 たとえば二〇一六年夏の参議院選挙長野選挙区で、野党から立候補した杉尾秀哉氏もその一人です。しかし、杉尾氏が「日本会議が考えている憲法改正は、大日本帝国憲法の復活です」と発言したのに対して、日本会議はただちに見解を公表し、これまで表明した憲法改正に関するいろいろな事実の経緯を述べながら、「結成以来今日まで「大日本帝国憲法復活」などの方針を掲げたことは一切ありません」と反論しました。憲法改正を掲げていることは隠しませんが、明治憲法を復活させるようなものではないというのです。

 実際、日本会議は昨年(二〇一五年)一一月、「憲法改正の国民的議論を!」と題するチラシを作成し、「国民運動」を進めており、そこでは七つが改正項目とされています。一=前文に日本の美しい伝統文化を明記すること、二=国家元首は誰なのかを明記すること、三=九条一項の平和主義を残すが二項で自衛隊の国軍としての位置づけを明確にすること、四=環境規定を設けること、五=家族の保護を規定すること、六=緊急事態条項を入れること、七=憲法改正要件を緩和すること、以上です。

 これをもって、「明治憲法と同じだ」と言う人もいるかもしれませんが、それはアジテーション以上のものではありません。自民党の改憲案と比べてみても、よほど穏やかなものになっていることは疑いようがありません。

●右派団体を総結集し、実際に目的を実現しようとするから

 ある人にとっては日本会議が極右のように見えるのに、なぜ実際には、それほど右側に寄りきった主張をしていないのか。それは、日本会議のそもそもの性格、さらにはそれが現在めざしていることとも関わる問題です。

 日本会議は、一九九七年、主に右派宗教団体を糾合する「日本を守る会」と、主に右派知識人が集まる「日本を守る国民会議」が合同して結成されたものです。右派の個人、団体を総結集することによって、その目的を達成しようとしているのです。

 しかし、巨大だということは、いろいろ性格の異なる団体、人びとが集っているということでもあります。たとえば宗教団体といっても、一般に目につくのは神道関係の団体であり、それらの団体が明治の国家神道と密接な関係にあった天皇制に対して独自の主張を持っていることは容易に推測できることです。けれども、日本会議には同時に、日蓮宗や曹洞宗などの仏教関係者、世界真光文明教団などの新興宗教の関係者なども加わっています。そこをまとめ上げるのですから、極端な主張では合意が得られないという要素も加わってきます。

 憲法をめぐっても右派のなかにはいろいろな意見があります。占領時に制定されたものだから無効だという主張も根強いのです。現行憲法が無効ということになると、現行憲法で廃止の決まった明治憲法が復活することになります。そういう立場からすると、現行憲法を改正するというやり方は、きわめて生ぬるいことになります。

 けれども、日本会議がいま重視しているのは、国民の合意を得て、実際に憲法を変えることです。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を結成して一〇〇〇万人署名を展開し、国民の支持を得ようとしています。その目的の実現のためにも、それなりに合意の得られやすい先の七項目に限定して、署名の内容としているわけです。国民の支持が得られない明治憲法の復活という方針が有害なことは十分に自覚しているのです。

●自民党以外から支持を獲得するために
 以上のことから分かるのは、日本会議の主張がそれなりに抑制的なのは、組織の結束力を維持して、国民の支持のもとに、本気で目的(当面は改憲)を達成しようとしているということです。『日本会議の正体』(青木理著)に登場している横浜港北区の師岡熊野神社の石川正人宮司は、自民党に限らず改憲派を糾合するのが日本会議の役割であるとして、次のように語っています。

 「逆に、民主党などの中にも改憲派はずいぶんいて、その人たちが陰ながら力になってくれているという部分も実は侮れないんです。われわれはとにかく自民党に限らない改憲派を糾合したい。それが日本会議の運動ですから」

 日本会議といえば、多くの人の抱くイメージは、「自民党より右」というものでしょうが、実際にはウィングを自民党から左に伸ばそうとしているわけです。そのためには、右派原理的な主張は抑えてでも、できるだけ受け入れられやすい訴えをするようになっているのです。

 一方の日本会議がこうした視野を持って運動を開始した九〇年代半ば以降の時期、他方の左派はそれぞれが自己主張を強め、労働運動でも平和運動でも分裂した状態が固定化されていきました。その間隙を突くようにして出現した日本会議が、この約二〇年の間に、右派組織の団結をさらに固めつつ、どんどん巨大化してきたのです。

 つまり、主張が抑制的になったところが、実は日本会議の侮れないところだということです。現在の日本会議を語る上では、そういう視点が欠かせません。実際に日本会議が主張してもいないことを批判しても、「そんなことは言っていません」と反論されるだけで、痛くもかゆくもないでしょう。

 日本会議の歴史観をテーマとする本書も、その視点で書かれたものです。歴史観こそが、日本会議を日本会議たらしめているものに他ならないのであって、この分野で日本会議の実際の主張に即した批判ができなければ、巨大な影響力を持ちつつある日本会議を乗り越えることはできないと考えます。(了)

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