蓮舫さんに求められる挑戦

2016年9月15日

 いま、『プラハの春』という小説を読んでいる。文庫の上下巻で合計900ページにもなる大作だ。

 もちろん、68年のプラハの春をテーマにしたもので、チェコスロバキアのドプチェク、ソ連のブレジネフなど関係者が実名で登場し、ソ連の軍事介入に至る経過をリアルに再現している。ここまで詳しく書いたものは、論文でも読んだことがなかったので、勉強にもなった。その後、ソ連共産党の書記長になるアンドロポフ(当時はKGB議長)が改革派として登場していることも含め、著者(当時、プラハ在住の外務公務員)の観察眼は鋭い。

 まあ、でも、それだけで小説になるわけでなく、平行して国際恋愛が描かれる。プラハの春の叙述がリアルなだけに、恋愛のほうも現実かと思わせるのだが、実際はおそらくまったくそうではないだろう。だって、60年代の後半の時代に、日本の外務公務員と東欧の共産党籍の女性が恋愛に落ちて(不幸にも結婚はできなかったが)、なおその後も公務員を続けられたなんて、ちょっとあり得ないことだからね。

 ここは小説の書評をするブログではないけど、なぜこれを取り上げているかというと、いま話題の二重国籍問題が出て来るからだ。小説にも外務公務員法第七条の引用が出て来るのだが、それは以下のようなものだった。

 「……国籍を有しない者若しくは外国の国籍を有する者又はこれを配偶者とする者は、外務公務員となることはできない。外務公務員は、前項の規定により外務公務員ができなくなったときは、政令で定める場合を除く外、当然失職する」

 本人の二重国籍を禁止していただけでなく、配偶者が外国籍であることもダメだったんだね。海外に赴任して生活するわけだから、その国の人と恋愛関係に陥ることは少なくなかっただろうから、酷な規定だったと思う。

 そういう現実に押されたのだろうね。96年、この配偶者規定は削除されたそうだ。

 よく指摘されるように、日本の法体系は(憲法もそうだが)、日本国籍を有するものを重視するものになっている。外国との交渉にあたる外務公務員にはとりわけその考え方が適用されるのは、自然なことだと感じる。

 しかし、よく考えてみれば、外務公務員法がこうなっていると強調されるのは、他の公務員にはそういう要件が必要とされないということなんだよね。憲法は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(第15条)となっていて、国会議員をはじめとして公務員を選ぶのは、日本国民固有の権利だということだが、選ばれる公務員のほうには二重国籍禁止規定はないということだ。

 しかも、外務公務員法も、配偶者が外国籍でも構わないということになった。全体として、憲法の枠を変えることはしないが(関係ないけど、外国籍の人にも参政権を与えるため憲法改正しようと安倍さんが言いだしたら、護憲派は困ったことになるよね)、外国籍の排除という考え方を断固として貫くみたいな方向ではないわけだ。

 憲法15条って、少なくとも国会議員については、合理的な考え方だと思う。なぜかといいうと、国会議員というのは、日本国民が「国民固有の権利」を行使して選ぶからである。主権者が、「この人でいい」と言っているものを排除するというのは、国民主権の原理にそぐわない。だから、蓮舫さんの問題は、やはり憲法を含む法的な問題ではない。

 問題となるのは、判断を国民に委ねるという構造になっているのに、蓮舫さんの問題を判断する材料が、その国民に与えられていなかったことだろうね。その材料が与えられないまま(あるいは間違った材料を与えられて)選挙がされてきた。

 その点で、この問題は、次に選挙の洗礼を受けるまで長引くかもしれない。蓮舫さん、総理大臣をめざすということもあるのだから、衆議院の補選がどこかであれば、挑戦することが求められると思う。

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント