韓国はどこに向かいたいのか

2016年12月5日

 朴槿恵大統領の問われている問題が、大統領としてやってはならないことであることは理解できる。人々がそれに激しく怒っていることも、背景に貧困と格差があって、大統領のコネで登り詰めた人物がいることと対比した怒りだと言われれば、「そういうものかな」と理解できないではない。

 ただ、その怒りをどこへ持っていこうとしているのかは、まったく見えてこない。どんな韓国社会をつくりたいのかということだ。

 2002年のキャンドル集会は明快だった。女子中学生が米軍の戦車にひかれて死亡し、その際の米軍の対応が傲慢だったことで、米軍駐留のあり方が問われたわけだ。目に見えて変わったのは、地位協定など部分的なところだったが、韓国の人々の米軍に対する認識は深まったと感じる。

 2008年のキャンドル集会は、世界経済危機が背景だった。焦点となったのはBSEの米国産牛肉の輸入問題だったが、貧困や格差をどうにかしてほしいという願いが伝わってきた。

 今回、韓国の人々は何を求めているのか。大統領の知人が国政に深く介入し、特権を得るような政治システムを変えてほしいということなのだろうか。でも、それを防ぐような政治システムをこうやったらつくれるのだ、というような提案めいたものは聞こえてこない。

 あるいは、2008年に引き続き、背景にあるとされる貧困と格差をなんとかしてほしいのか。根本的にはきっとそれなんだろうけれど、現在の韓国の経済体制は、金大中政権以来ずっと推進されてきたもので、それに変わる選択肢が提示されているという話も聞こえてこない。

 そこが深刻なんだろうと思う。多くの人が現状に不満を抱えているのに、与党からも野党からも、その原因がどこにあるのか、現在に変わる政治、経済、社会のシステムはどうしたらつくれるのかが示されないわけだ。

 そこに国民の怒りが爆発している。行き先が見えないので、すべてが大統領をはけ口にして爆発している。そんな感じかな。大統領が替わったからといって、これでは何も変わらないことが見えているだけに、深刻さの度合いはすごいものだと思う。

 これって、韓国ではずっとマルクスの文献が読めなかったことも、部分的には関係していると思われる。その結果、韓国では、ものごとを社会科学的に分析するという点で、非常に偏ったものしか存在しなかった。いまでも、北朝鮮が信奉する理論と、マルクスの理論と、どこが本質的に違うかを語れる人は、そう多くないのではないか。

 日本やヨーロッパは、マルクスの影響があったから、それに反対する側も理論を鍛えることがあったわけだ。それを通じて、社会に対する国民の認識が深まった。韓国で社会変革の理論が鍛えられていくためには、相当の葛藤が必要とされるのかもしれない。
 

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