南スーダンの事態と稲田防衛大臣

2017年2月10日

 本日も、集中して原稿を整理する仕事をしていて、ものを考える余裕がありませんでした。だから、ボヤッと考えたことを。

 稲田朋美さんの国会での発言が話題になっていますよね。南スーダンでは、実態はどうあれ、日本の憲法解釈でいうところの「戦闘行為」は発生していないのだと。

 これは、これまでの政府もずっとそうでした。小泉さんの時代は、「自衛隊がいるところが非戦闘地域だ」という名文句もありました。

 だから、同じだと言えば同じなのですが、違いもありますよね。小泉さんは堂々としていたというか、憲法に違反することは自分では分かっていて、ホントは本音を言いたいけれど、総理大臣としては憲法に合致していると言うしかないので、「あなたも分かっているでしょ」と開き直っていたわけです。明るく。

 だけど、稲田さんの場合、自信なげに言っている感じですよね。まあ、政治家としての風格の違いでしょうか。

 ただ、もう一つ、違いを挙げるとすれば、自衛隊員が本当に危険にさらされているという切迫感が、いまは存在することでしょう。小泉さんの時には、官邸でイラクの自衛隊を統括した柳澤協二さんに言わせると、どうせアメリカのお付き合いで行くんだから、命をかける必要はないんだという空気が官邸のなかにあったということです。いま、安倍さんが自衛官に命を投げ出せという空気を感じさせているかどうかまでは分かりませんが、現実の事態は切迫しているので、何らかの時の責任という問題は生じるでしょう。やはり答弁もおどおどとしたものにならざるを得ないのでしょう。

 それにしても、戦闘行為とは、国または国に準じる組織が当事者となって起こるもので、南スーダンの場合、政府は当事者だけど、副大統領派は組織系統もないし、領地もないから、戦闘行為ではないということです。まあ、その論理、まったくおかしいとも言えないと思います。

 だって、たとえばナチスによるユダヤ人虐殺は、まさに平時において開始され、だから従来の国際人道法(戦時適用)では裁けなくて、ニュルンベルクで平時でもジェノサイドは裁けるという新しい法体系をつくったわけですから。短期間に100万人が虐殺されたルワンダでも、確かに虐殺された側は、組織系統もなかったし、領地をもっていたわけではないですよね。

 だから、憲法九条を持ち出さずとも、たしかに「戦闘行為」ではなかったのかもしれない。実際、交戦する力がある軍隊が、交戦能力のない人たちを一方的に虐殺しているわけですから。

 問題は、でも目の前で虐殺が進行しようとしていて、ところが自衛隊は施設をつくるのが任務の部隊に「警護」の任務を与えて派遣していることです。何十万もの人を虐殺する軍隊を前にして、自衛隊が何らかの仕事ができるのか、仕事をさせて、殺すにせよ、殺されるにせよ、その結果に稲田さんがどう責任をとるのか。そこを私は聞きたいと思います。

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