信頼されない防衛大臣の進退・2

2017年4月3日

 稲田氏の発言に問題があったとすれば、自衛官が遭遇する危険について、自分のこととして捉えていないように思えたことだ。PKOの現実も、自衛隊に付与される任務も、歴代政権の頃とは様変わりしており、過去の延長線上でものごとを考えてはならなくなっているのに、そのことへの想像力がほとんど働かず、これまでの答弁を繰り返しておけばいいという怠慢が見えたことだ。

 日本がPKO法を制定した90年代半ば、PKOを特徴づけていたのは、紛争当事者の停戦合意と受け入れ合意があり、紛争当事者に中立的な立場をとることであった。しかし、現在のPKOは、住民を保護するためには武力の行使をいとわないものとなっている。南スーダンPKOも同じである。海外で武力行使をしないという日本国憲法とは完全に矛盾するようになったのだ。

 その矛盾を解消するため、新安保法制では、武器使用の権限を国際水準に近づける方向で法改正が行われた。しかし、そのことにより、自衛官はさらに大きな矛盾の中で活動することを余儀なくされるようになった。

 例えば、自己防衛のためなどに限られていた武器使用は、警護をはじめ任務遂行のためにも可能なようになった。しかし、その武器使用の仕方は、国際水準と異なって正当防衛などの場合(相手が最初に撃ってきた時など)に限られるので、他国の兵士と比べて自衛官の危険は格段に増している。にもかかわらず、憲法上の制約があることにより、日本による交戦権の行使ではなく、個々人による武器使用だとされるため、自衛官には国際的な交戦法規が適用されず、捕虜にもなれないとされている。さらに、国家として命令し、部隊として行動しているのに、誤って民間人を殺傷した場合、自衛官個人の刑事責任が問われることになる。しかも、その自衛官を裁くのは軍事法廷ではなく、軍事問題の知識も経験もない一般の裁判所である。

 自衛官の多くは、そのような矛盾に苦しんでいる。同時に、国家の命令で派遣されたからには、立派に任務を果たさなければならないという使命感を抱いている。防衛大臣に求められているのは、その矛盾から自衛官を救い出すために努力することだろう。任務を立派に果たせるよう法制面その他での整備をちゃんとするのか、憲法との矛盾をキッパリと認めて自衛隊の海外派遣そのものを見直すのか、どちらの方向に進むにせよだ。

 「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」──稲田氏の言葉を何回テレビで聞いても、心配りの対象は国会であって、自衛官ではないのだと感じるものでしかなかった。20万を超える自衛官は、この防衛大臣を信頼し、その命令を受けて任務を遂行できるのかと、不安を抱かせるものだった。

 自衛隊はこの5月、南スーダンから撤退することになった。しかし、「南スーダンは安定している」という虚構に最後まで固執し続けたため、PKOの現場で自衛官が抱える矛盾は放置されたままである。稲田氏の罪は重い。

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