北朝鮮対応で軍事と外交を結合する最適解はどこにあるか・1

2017年4月19日

(ネットメディアに依頼されて投稿しました。5回連載です)

 北朝鮮情勢が風雲急を告げている。真剣な対策が必要だ。軍事対応と外交努力をどう適切に結合させればいいのか、その「最適解」を見つけだすことが決定的に重要だと考える。それはどんなものだろうか。

(1)
 軍事対応だけでも、あるいは逆に外交努力だけでも、北朝鮮の核・ミサイル問題には対応できない。歴史的な経緯を見ればそれは明白だ。
 いわゆる1990年代前半の朝鮮半島第1次核危機。クリントン政権が軍事対応を志向したが、その道を進めば100万人以上の死者が出るとの試算も出され、当時の韓国金泳三政権が断固として反対したこともあって、軍事対応には至らなかった。あとで論じるように、軍事対応がいまでも同じ問題を引き起こすという構図は変わっていない。
 一方、その核危機が米カーター元大統領の訪朝によって回避され、北朝鮮は、1994年のいわゆる「米朝枠組み」合意により、核兵器を最終的には放棄することを約束した。その見返りに北朝鮮に対して軽水炉2基を供与するとともに、それが完成するまでの間、毎年50万トンの重油を供与することになり、日本も軽水炉建設費の30%を負担した。外交努力の成果だと見られたが、結局、北朝鮮が秘密裏に核開発を続行していたことが明るみになり、IAEAの査察を拒否するわ、NPTからの離脱も宣言するわで、外交努力は見事に破綻したのである。「外交努力だけでなんとかなる」というならば、この時の失敗の教訓を徹底的にくみつくした上で、「このやり方ならば」というものを説得的に提示しなければならないが、そういうものにはまだお目にかかっていない。
 それに続くブッシュ大統領の時代、アメリカはイラク戦争に突入し、小泉首相は「北朝鮮が攻めてきたときはアメリカに頼る必要があるのだから」という理由で、その戦争を支持した。今回、トランプ政権のシリア爆撃を「理解」した安倍首相につながってくるが、金正日は、化学兵器の保有をちらつかせるような甘い対応では体制を打倒されるということをイラク戦争の教訓だと捉え、本気で核保有国になる決意を固めたとされる。シリア爆撃を「牽制」とする見方は、北朝鮮には通用しないだろう。
 オバマ大統領の時代、アメリカは「戦略的忍耐」といって、北朝鮮が核放棄するまでは相手にしないという態度をとった。軍事対応は行わず、外交努力もしないという新たな対応だったが、結局その期間、北朝鮮の核・ミサイル開発は加速した。
 要するに、これまで世界がどういう対応をしようとも、北朝鮮は核・ミサイル開発を止めやめなかったということだ。軍事対応されるかもしれないという恐怖感があったとしても、何らかの経済的利益を得られるかもしれないという期待感があったとしても、そういうものには目を向けることなく、まさに自分たちも「戦略的忍耐」を堅持して、ただひたすら核・ミサイル開発を完遂するのが体制維持に決定的だと考え、邁進しているのが、現在の北朝鮮だということである。
 そういう国とどう向き合うのかという問題に我々は直面している。単純な結論で済ませられるわけはない。(続)

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