森友学園問題で野党は戦略ミスか

2017年4月18日

 「私や妻が関与していたら、首相も国会議員も辞める」。安倍さんがこの言葉を吐いたのは、おそらくとっさのことだったのだろうけど、全経過を見ると(まだ終わってはいないけど)、安倍さん、この発言に助けられたよね。

 だって、この言葉があったから、野党は(反安倍の世論も)ここにしがみついた。「関与」を証明したら安倍さんは辞めることになると思って、そこにしゃかりにきなった。

 例えば100万円の寄付だってそうだろう。安倍さんがおカネをもらって便宜を図っていたら大問題だけど、学校の理念に賛同しておカネを出すのは、法的には何の問題もない。だから、これをどう追及しても、安倍さんの責任が問われることになるはずがないのに、「関与」の二文字にすがって、ここが大事だと思い込んだ人がいたわけだ。

 これって、根本的に間違っているでしょ。私の周りにも、「これで安倍の首がとれる」と思い込んで、必死になっている人がいる。でも、要するに、客観的に言うと、選挙で国民多数の支持を得て勝つことはできないから、「関与」を証明して安倍さんに辞めてもらうようにしたいということだ。そこを見透かされて、安倍さんは堂々としている。

 この問題では、先月、「森友問題は安倍政治型の事件」という記事を書いた。以下、少し引用。

 「通常、こういう事件が起きると、我々の思考は、これまでの同種の事件に引きずられがちです。大企業や大金持ちがおカネを政治家に渡して、それで政治家が役所を動かし、政治がゆがめられるという、贈収賄型の事件です。……
 確かに、昔の自民党政治というのは、そういうものでした。でも、……小選挙区制になって、首相の力の源泉は候補者を公認する権限があることから生まれる構造になっています。おカネも政党に集中するようになっています。おカネがなくても首相が絶大な権力を行使できるようになっているわけです。……
 こうした時代には、何かの目的を達成しようとすると、政権のトップにどう取り入るかということが大事になってきます。籠池さんが首相の名前を冠した学校をつくろうとしたのも、そうした意図があったからでしょう。
 また官僚についてみても、昔なら、ある派閥から別の派閥に権力が移動するということが日常茶飯事だったので、特定派閥とだけ親密にするようなことはしなかったでしょう。だけど現在の権力構造のもとでは、派閥に対して等距離である必要はない。首相による働きかけがあろうがなかろうが、首相の意向に沿った行政ができるかどうかが、官僚の腕の発揮のしどころということになっているように思えます。

 そいうことで、今回の事件は、現在の政治構造が生み出したのだと思います。その意味で「安倍政治型」と名づけました。」

 まあ、これが正しいかどうか、分からない。だけど、いま野党に求められているのは、「関与」を証明して安倍さんの首をとることではなく、森友学園問題を通じて明らかになった安倍政治の構造がどんなに問題かを明らかにして、それに対峙する新しい政治のあり方、国家のあり方を示すことであるように思う。

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