安彦良和『原点』で思ったこと・2

2017年5月19日

 安彦さん、高校の時は、歴史の見方を教えてくれるすごい先生がいて、その影響で民青同盟に入ったそうだ。大学に進めば、もっとすごい勉強ができると、胸をふくらませていたという。

 だけど、大学の民青の班は、そういうものでなかったらしい。拡大とか、指定文献の読了とかだけを追及され、おもしろくない。やりたいのはベトナム反戦運動だったので、独自に運動組織を立ち上げ、全共闘に近づいていくことになる。こうやって自分の頭で考え、自分で道を切りひらいていくところが、その後の漫画家としての活躍につながっていると思う。

 一方、私が体験した一橋大学の民青は、安彦さんのとはかなり違っていた。まず、私はすぐには入らなかった。

 筑波大学法案粉砕闘争とか小選挙区制反対闘争とかがあって、毎回それに参加し、大学生はデモの最後尾のため最終電車に間に合わず、新宿の深夜喫茶で連日の加盟工作を受けるわけだ。だけど、「猿が人間になるなんて、科学的にあり得ないでしょ」なんて論争をふっかけて、民青の人を困らせていた。

 二年生になって入った民青は楽しかった。指定文献はあったのだろうけど、読め読めと言われた記憶はない。班の会議は、総選挙が近づいていたこともあって、みんなで政党を分担して政策の発表と議論をしていた。私は公明党を担当していて、別に議論の結果として共産党が優位ということになるわけでなくても、共産党から「指導」で入っていた人が文句を言うこともない。

 その人と飲んでいたら、突然、共産党の月刊誌『前衛』を取り出して、こんなことをいうのだ。「ここに「政治理論誌」って書いてあるだろ。これって、理論に対して政治が優先するということで、そんな見地で組み立てられる理論っていうのは、いつも疑いの目で見ていたほうがいい」。

 へえ、そんなものかと聞いていた。会議で報告される情勢の分析なんかも、「赤旗」を参考にはするんだろうが、そこには書いていないような独自理論みたいな展開がされていて、極端だなと思うことはあっても、共産党というのは指令で動くのではなくて、全部自分の頭で考えるんだと感じていた。その後も、個人的にはそういう体験が少なくなく、共産党はそういうものだと思っていた。

 ただ、いまから考えると、反省すべき点も多い。安彦さんは現在、全共闘体験をどう総括していくのか、当時の関係者と議論を重ねているようだが、私にも真剣に総括すべき問題はあると考えている。

 その一つが、まさに、安彦さんなど全共闘というか、当時の言葉でいうと「トロツキスト暴力集団」とか「ニセ左翼暴力集団」との闘いである。全部を書くとそれこそ、この『原点』のような本が必要となるので、ワンテーマだけ。(続)

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