稲田朋美氏の「功績」

2017年7月29日

 昨日、稲田さんの辞任にあたって産経新聞デジタルから論評を求められ、10時50分頃の辞任会見を見て、あわてて以下のものを書きました。ようやく掲載されたみたいなので、ここでもアップします。タイトルは違っていますし、文章も少し違います(校閲が入っているので)。

 間近に迫った内閣改造も待てないほど安倍内閣は追い込まれていた──そう印象づける稲田氏の辞任である。実際、防衛省の事務方トップと陸上自衛隊のトップが責任をとるのに、ことの真相はどうあれ防衛大臣だけが辞任しないで済むとなれば、その衝撃は計り知れないほど大きかっただろう。

 この欄に私の「自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ」という論考が掲載されたのが3月末。稲田氏がこの時点で辞任していたら、安倍内閣の傷はこれほどのものにならなかったはずだ。

 何よりも、東京都議選で自民党候補を応援する場での「自衛隊としてお願いする」発言(6月27日)は、稲田氏の防衛大臣としての資質を大きく疑わせるものだった。自衛隊は、過去に違憲判決もあったことなどから、どうすれば国民に支持されるのかを探ってきた。政治的な争いから身を引いた場に自分を置くことも、その一環であった。稲田氏の発言は、本人が自覚していたかどうかは別にして、自衛隊は自民党のものだとする立場からのものであり、自衛隊が模索してきたものとは真逆だった。言葉は悪いが、中国人民解放軍が共産党の軍隊だとされているのと同じなのである。

 これは、安倍首相が最大の目標と位置づける改憲に深刻な影響を与える性格の問題だけに、その時点で首相はもっと敏感にならなければいけなかった。安倍首相は5月3日、憲法9条の1項2項はそのまま残して、自衛隊の存在を別項で位置づけるという加憲案を提示した。これに対する評価は立場によりマチマチだが、首相の言明によると、憲法解釈は変えないで自衛隊の合憲性を明確にするものだとされ、当初の世論調査では支持が高かった。9条を残すことで護憲派に配慮し、国民の支持が高い自衛隊を明記するというわけだから、反対するのは簡単ではないのである。

 しかし、この案が多数の支持を得るのが可能になるのも、自衛隊の政治的中立性が保たれているという安心感が国民のなかに存在してこそである。河野統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」と発言し、自衛官のそういう気持ちは私もよく理解できるのだが、政治的に深刻な争いになっている問題で、一方の側だけに加担するというのは、自衛隊の基本的な性格に関わる問題であった。

 「自衛隊は自民党の軍隊」という前提に立った稲田氏の発言の衝撃度は、河野氏の発言の比ではなかった。現在の自衛隊について憲法上の位置づけを明確にするだけということだったのに、その自衛隊はかつてのような国民の支持を模索する自衛隊ではなく、特定党派の自衛隊というのだから、国民は皮膚感覚で加憲案にうさんくささを感じたのではないか。安倍内閣の支持率とともに加憲案への支持も低下しているのはうなずける。

 稲田氏辞任の直接のきっかけとなった南スーダンの「日報」問題も、同じ見地で捉えることが可能だ。加憲により明文で位置づけられることになる自衛隊を政治的争点にしてしまったということである。

 もともと昨年7月のジャーナリストの開示請求に対して、「(陸上自衛隊が)廃棄しており不存在」だから公開できないと答えたことは、自衛隊の隠ぺい体質をうかがわせるものである。しかし、今年2月になって、その日報は統合幕僚監部に保管されていることが分かり、公開されたのである(陸自にも保管されていたことも分かった)。ところが、公開されたにもかかわらず、一連の事態の推移のなかで、自衛隊の隠ぺい体質と政治化が現実以上に国民の認識になったように思われる。

 そうなったのは、陸上自衛隊に対する特別監察の過程で、稲田氏と自衛隊のあいだに確執が存在しているように見えたからである。稲田氏は一貫して、日報の存在は報告されなかったし、隠ぺいを了承したこともないと発言している。特別監察の結果も、稲田氏が参加する会議で日報の存在について出席者から発言があった可能性は否定できないとしつつ、非公表という方針の了承を求める報告があったり、それを稲田氏が了承した事実はなかったとした。稲田氏の発言と異なるのは、会議で発言があった可能性を認めただけである。

 真相は分からない。ただ、少なくとも稲田氏の発言がもたらしたものは、自分は報告があるなら公開せよという立場なのに、自衛隊からの報告はなかったという印象である。自衛隊の隠ぺい体質を浮き彫りにする役割を果たしたわけだ。

 これに対して、稲田氏には報告したとの暴露が、おそらく自衛隊側から相次ぐことになる。自分たちだけが悪者にされてはたまらないからだろうとの観測があり、同情もされているが、一方、「政治に楯突く自衛隊」というイメージがふくれあがっているのも事実だ。「クーデターだ」「2.26の再来だ」と極端なことを言う人も出ている。加計学園をめぐる総理官邸の役割をめぐって文科省から内部文書が暴露されると歓迎する人が、自衛隊が同じことをすると危険視するわけである。

 自衛隊は今回、別に武力を振りかざしているわけではない。言論を行使する枠内のことである。しかし、自衛隊は一貫して政治への関与を慎んできただけに、少しでも関与しようとすると、必要以上に警戒されるわけである。

 このままでは、憲法改正問題は、政治化した自衛隊、自民党の軍隊を憲法に明記するのかという問題になってきかねなかった。ところが、最後まで稲田氏をかばい続けた安倍首相には、そういう認識はなかったようである。稲田氏を個人的にかわいがるあまり、信念を実現するために必要なことまで見えなくなっているのではないか。護憲派の私としては、それが稲田氏の最大の「功績」である。

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