北朝鮮核ミサイル問題の当事者性で苦悩する日本

2017年8月30日

 産経新聞デジタルへの投稿。そっちでは、私が書いた上記のタイトルより、ずっと過激になっている。やはり、産経デジタルって、リベラルなのかも。

 昨日の朝、目覚めた時はすでに北朝鮮のミサイルが日本上空を超え、北海道の東側海域に落下したという情報が流れていた。その後、現在まで1日で得た情報を通じて感じることを1つのキーワードにすると、「当事者性」ということになろうか。

 びっくりしたのは、早い段階で、「ミサイルは上空で3つに分離した可能性がある」とされていたことだ。これによって、日本の「当事者性」は格段に高まった。

 北朝鮮のミサイルというと、この間、飛距離が大きな話題になってきた。アメリカ本土まで到達するかどうかが焦点だった。そうなるとアメリカが北朝鮮ミサイル問題の最大の「当事者」になるからだ。今回、そういう点での技術的進歩はなかったわけで、米国防総省のマニング報道官は、「北米には脅威にはならない」(日本時間28日朝)と述べたという(朝日新聞28日夕刊)。米本土に届くようなものではなかったので、冷静に受けとめているように見える。

 だが、上空で分離したというのが多弾頭化への前進を意味するなら、日本にとっては重大な問題である。いうまでもなく、弾道ミサイルを迎撃するのは、それが一発だとしても至難の業である。複数が同時に発射されるだけで、迎撃はほとんど不可能になると言われている。多弾頭化が成功し、上空に来てから分離されるとなると、対処しようがなくなるわけである。配備しているPAC3などの信頼性がなくなるという事態に日本は直面しているということだ。

 ところが、安倍首相の談話が問題にするのは、ミサイルが日本の上空を飛び越えたことだけだ。もっとも懸念すべき多弾頭化には何もふれていない(菅官房長官の記者会見では言及していた)。国民に恐怖感を植え付けるためには、「頭の上を飛んだぞ」というのが効果的という程度のことなのだろうか。多弾頭化の問題に関心がないとすると、当事者意識が希薄でないかと心配になるほどだ。

 一方、日本政府は、国民に当事者意識を植え付けることについては、かなり真剣になったようである。話題になっているJアラートの問題である。

 安倍首相は談話で、「ミサイル発射直後からミサイルの動きを完全に把握して」いたことを明らかにした。北朝鮮が関係国の目をグアム方面に釘付けにしようとしたなかで、その陽動作戦に惑わされず、かつ早い段階で日本に落下しないことも分かっていたということで、日本にそこまでの情報力があったのは大事だたと思う。

 しかし、今回の問題を通じて議論の必要性が明らかになったのは、日本にミサイルが落下しないことが明白なのに、どこまで国民を巻き込むのかということだ。ミサイルの発射が5時58分で、Jアラートが12道県に伝えられ、新幹線などが停止されたのが6時2分、太平洋に落下したのが6時12分とされる。そして、えりも町教育委員会が児童に自宅待機を要請したのは、落下したあとの6時20分ということだ(以上、読売新聞29日夕刊)。日本政府は、日本に落下しないと分かっていたのに(だから破壊を命令しなかった)、いろいろな措置がとられるのを黙って見ていたわけである。

 未完成のミサイルが日本上空を通過するわけだから、たとえ日本領土に向けたものでなくても、破片の落下など万が一の心配があることは分かる。しかし、オオカミ少年の寓話にあるとおり、つねに国民を巻き込んでいては、いざという時に冷静な行動がとれなくなる。慌てふためく日本国民を見て、日本上空を通過させるのが効果的と、北朝鮮が判断しても困る。

 Jアラートの発動は、政府がミサイルの破壊を命令する時(日本に向かうミサイルだと判断した時)など、限定的なものにすべきではないだろうか。北朝鮮によるミサイル発射が今後も頻繁にくり返されることが予想されるだけに、余計にそう感じる。

 また日本政府は、日本が衛星を打ちあげる際、たとえ北朝鮮の上空を通過しない場合でも通告することによって、北朝鮮にも同様の通告を促すべきではないか。6月はじめに日本が測位衛星を打ちあげた際、北朝鮮外務省は「日本は、われわれが何を打ちあげようと、そしてそれが日本の領空を通過しようと、何も批判できなくなった」と主張したそうだ(毎日新聞29日夕刊)。そんな口実を許すようであってはならない。

 最後にイージス・アショアの問題である。今回のミサイル発射を受けて、導入の必要性に向けた議論が加速されるだろう。しかし、「ちょっと待て」と言いたい。

 冒頭に書いたように、今回のミサイル発射は、多弾頭化の実験だった可能性がある。今回がそうでなくても、ミサイルを効果的なものにしようとすれば、どの国であれ多弾頭化に行き着くことは当然である。ところが、イージス・アショアは、多弾頭のミサイルに対しては無力なのである。

 北朝鮮の核ミサイル問題は外交努力抜きに解決できないのは明白だ。ただ一方で、「どうせ撃ち落とせないのだから外交を」という立場は、外交努力を強める方向に単純には働かないように思う。撃ち落とせないことが前提になってしまうと、「じゃあミサイル基地を叩くべきだ」という世論に向かうことと裏腹だからである。

 いま大事なことは、多弾頭化によって、このままでは日本の迎撃システムは役に立たないと自覚することである。そして、迎撃システムを開発しているアメリカに対して、多弾頭化に対応したシステムを開発を強く求め、「対応すれば購入する」という立場を貫くことではないか。米本土と異なり、日本はミサイル被害の「当事者」になり得るのだから、役に立たないものは買えないと明確にするのは余りにも当然だろう。

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