北朝鮮相手に抑止と外交は結合できるか

2017年10月26日

 中国共産党大会への習近平報告はさすがに長く、読み切れていないので、連載開始は来週だね。退屈な報告だけど、日本の共産党の大会への報告より熱心に、マーカーを片手に熟読しているという事情もあるし。ということで、本日は別記事。

 朝鮮半島で軍事衝突が勃発した際、韓国に滞在するアメリカ人、日本人などをどう退避させるかという問題で動きが出てきているということで、「本気で戦争を準備しはじめたのか」という質問を受けた。そうだともそうでないとも言える。

 実際には戦争なんかできないよという人たちが理由としてあげていたのが、その問題だ。本気でやる場合、韓国にいる20万人のアメリカ人、4万人近い日本人に退避勧告を出すだろうから、それがない段階では戦争は開始されないというものだ。これはそのとおりだと思う。

 しかし今回、そこに微妙な変化があるわけだから、戦争が近づいたという見方が生まれるのも当然である。実際、戦争を覚悟したなら、そういう変化はあるわけだし。

 けれども同時に、そうやって抑止を強めているという見方も可能だ。こうした退避の動きが出て来れば、戦争をするというアメリカの覚悟が本気になってきたことを北朝鮮に自覚させることになるわけで、それが北朝鮮の核・ミサイル開発の意思をくじくことになるという考え方である。

 アメリカの戦略である抑止力というのは、もとともそういうものである。軍事力を行使してお前の国を壊滅させるぞという脅しをかけて、それで相手の軍事行動を抑え、止めるのである。

 だから、そういう点では、「軍事的選択肢をとるな」とアメリカ政府に働きかけるというのは、ちょっと筋が違うのだと思う。軍事的選択肢をとるぞと脅しをかけないと、アメリカの外交は成り立たないからだ。抑止と外交が一体となっているのがアメリカの戦略で、外交だけでは外交にならないのだから。

 まあ、こういう外交ができるのは、強大な軍事力を誇るアメリカだけである。日本が同じことをやっても、バカにされるだけ。そしてアメリカは、このやり方で成功体験をもつから、軍事的選択肢を排除せよと言われても、耳に届かない。軍事的選択肢がない場合は、オバマさんの「戦略的忍耐」みたいに、軍事もないけど外交もないということになっていくわけだ。

 耳に届くとしたら、アメリカの成功体験は北朝鮮には通用しないということを、どれだけ説得力を持って言えるかどうかにかかっているように思える。テロリストのように壊滅するという脅しが利かないとか、金正恩にはおどせばおどすほどやる気になる人物だとか。そこが考えどころである。

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