慰安婦問題で韓国政府がとるべき態度

2018年1月10日

 今回の新方針、韓国政府が何を問題だと捉えているのか、さっぱり分からない。河野外相は「まったく受け入れられない」と述べたそうだが、河野さんだって、何が受け入れられないのか、その中身が言えないのではないだろうか。

 この問題ではもともと、「法的責任を認め国家賠償を」という韓国側と、「人道的責任を認め何らかの措置を」という日本側が争ってきた。河野談話の段階で日本側はそれを「アジア女性基金」という形で具体化したが、「法的責任」という概念を使わず、「基金」にも民間が関わっていて「国家賠償」でなかったため、韓国側が反発し、問題がこじれてきたわけである。

 2年前の日韓政府合意は、そこをなんとかして乗り越えようとしたものだ。「法的責任か人道的責任か」では決着がつかないため、ただ「責任」を認めるとした。日本側が出すお金はすべて税金を使うことで、名目は国家賠償ではないが、実態は限りなく近づけるようにした。ゴマカシと言えばそうだろうが、ギリギリの決着だったと思う。だからこそ、韓国側の慰安婦も7割以上が受け取ることになったのだ。

 新方針で「法的責任」も「国家賠償」も求めることをしないというのは、韓国側の見識をあらわしたものだと感じる。そこを追及すると、はてしない泥沼に陥り、慰安婦の生あるうちに問題を終わらせられないという自覚があるということだ。

 ただ、それに変わって、まず韓国側がお金を払う意味が不明である。全額を日本の税金でというのが韓国側のこれまでの態度だったわけだが、それを韓国の税金に変えたところで、何が変わるのか。日本の税金をすでに受け取っている人は、それを戻して韓国の税金に変えると言われても困るだろうし、日本のカネは受け取れないと思っている人は、韓国からもらったといっても、日本との問題を解決したことにならない。

 それよりももっと意味不明なのは、日本側の「心からの謝罪が必要」ということである。いや、それ自体は当然であろう。しかし、河野談話に盛られた内容も、それを引き継いだ日韓政府合意での安倍首相の言明も、そういうものだったはずである。新方針だと、日本はこれまで「心からの謝罪」をしたことがないということになってしまう。それだと問題は再燃し、ずっと解決しない。

 韓国側が求めるべきは、河野談話と日韓政府合意に盛られた日本側の謝罪の水準を、これからも「最終的かつ不可逆的」なものとして堅持してほしいというものであるべきだ。それなら、新しいレベルのことを求めるものではないので、日本側としても受け入れられるはずである。一部には、日韓政府合意が最後の謝罪という見方もあるのだろうけれど、「日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」という安倍さんの言葉は、それが心からのものならば、内容的には将来にわたって堅持されるものであるはずなのだ。「最終的かつ不可逆的」なものとして。

 韓国側は、攻め方を大きく間違えているように思える。私が言っても仕方がないけれど。
 

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