共産党の政権論と憲法・防衛論の諸問題・8

2018年2月15日

 日米安保は日本と世界の平和を乱す根元的な要因であるという現在の共産党の認識のまま、日米安保が平和のために必要だという他の野党と政権共闘ができるのか。これは相当に難しいという自覚がまず必要である。自衛隊問題のように、将来は真逆だがいまは一致できるというのではなく、いまも将来も真逆なのだから。

 前原さんが安全保障政策での違いを理由に共産党との共闘を拒否し、希望との連携に走ったが、おそらく前原さんの記憶に残っているのは、民主党政権の外務大臣をやっていた際、思いやり予算特別協定の延長案件を国会に出したのに対して、共産党が猛烈にくってかかったことだろう。そんな共産党と政権をともにするなんて、とても考えられなかったに違いない。その気持ちは理解できる。

 ではどうしたらいいのか。100点満点の回答は見つからないし、存在もしないだろう。私としても選択肢を提示できる程度だ。

 一つは、新安保法制を廃止する以外は、それ以前の自民党政権の安全保障政策を受け継ぐという選択肢だ。細川政権が発足に際して「国の基本政策を引き継ぐ」としたり、村山自社さ政権も自民党と同じ安全保障政策だったが、それと同じやり方である。立憲民主党も現在、新安保法制廃止以外は自民党と同じなので、これなら一致できる。

 この場合、思いやり予算だって、細かい問題は別にして賛成することになるだろう。もともと共産党が野党との共闘で政権を取りに行くことを決めた際、新安保法制以外の法律と条約の枠内で対応することを打ち出したわけだから、織り込み済みということになるのではないか。

 問題は、それに共産党員や支持者が納得できるかだ。でもそれは、共産党が覚悟を決めて説得する以外にない。

 安全保障分野で現実的な政策をとる際、共産党が覚悟を決めて内部を説得できるかどうかは、かなり難しい問題だ。自衛隊の活用を最初に決めた2000年の党大会の際も、はげしい批判が共産党には寄せられた。それに対して正面から応えて説得するのではなく、自衛隊活用は将来の段階だと棚上げし、自衛隊活用論という言葉も使わなくなり、自衛隊解消論と名前を変え、活用はそのなかの一コマみたいな位置づけになって、10年余にわたって封印されることになった。そのため、党員や支持者からの批判は寄せられなくなり、余計な努力はせずに済んだ。今回も、選挙の時だけ連合政権では自衛隊や安保を認めるとのべたが、そこだけにとどまって本気を見せないなら、2000年のあとと同様、みんな「一時の気の迷いで終わった」と安心してしまって、何も変わらないだろう。

 しかし、野党連合を本気でめざすならら、そういうワケにはいかない。今回こそ、軍事力の必要性という問題を本気で議論し、定着させていく好機なのだと感じる。

 ただ、それにしても、安保は平和を乱す元凶だが政権取りのために認めるというのでは、党員や支持者が納得しないだけでなく、他の野党だっていっしょになろうと思わないだろう。国民からの理解も広がらない。

 少なくとも、共産党も含む野党政権のもとでは、日米安保を日本の平和のために運用できる可能性があるくらいの考え方は不可欠だろう。自分が政権をとっても安保が侵略の道具として機能するのは変えられないというのでは、新安保法制が廃止されるという利点はあっても、政権入りの意味はほとんどないことにならないか。その上で、この段階においては、日米安保を国際法を遵守したものにしようとする野党政権側と、これを侵略のために使おうともするアメリカとの緊張は避けられないとして、将来は廃止するという態度を明確にするのはどうだろうか。これなら、野党間で態度が真逆でも、なんとか連立は維持できると思う。

 だけど同時に、自分が態度を変えるというだけでなく、いのちをかけて他の野党に政策変更を求めることが必要な分野もある。それが受け入れられないと政権はいっしょにできないというくらい大きな問題だ。明日はそれを論じたい。(続)

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