共産党の政権論と憲法・防衛論の諸問題・了

2018年2月16日

 共産党にとっても支持者にとっても、他の問題では譲れても、「これは譲れない」という一線があるとすると、野党連合政権が核抑止力に依存するものとなるかどうかではないか。いざという時には周辺諸国に対して核兵器を投下してもいいのだという核抑止力まで支持するとは、共産党としては絶対に言えないだろう。

 民主党も民進党も、公式に核抑止力依存を掲げていた。立憲民主党はできたばかりで、そこをはっきりとさせていないし、核兵器禁止条約についても、政府のように「反対」とまでは言っていない。しかし、北朝鮮の核の脅威があるから核抑止を否定できないこと、その点から核兵器禁止条約に賛成とは言えない状態であることは、時として言明している。

 そこをクリアーするために、政権のための政策協議にいおいては、そこを曖昧にしたまま何らかの合意をするという考え方もあるようだ。例えば、「核兵器廃絶をめざす」というような合意である。それに意味がないとは言わない。

 しかし、政策協議でそれで合意しても、政権を手にしたあとのことを考えれば、それは容易に崩壊する。例えば、年に1回の「防衛白書」では核抑止力依存が公然とうたわれているが(民主党政権のときもそうだった)、その文言を残すのか削除するのかが問われる。曖昧な合意の生命力もそこで尽きることになる。

 それよりも何よりも、唯一の戦争被爆国の日本で、ずっと原水爆禁止運動とともにあった共産党が、他の国に核兵器を使用する政策を維持するかどうかで、曖昧な態度をとることは許されないのではないか。トランプ政権のNPRが出され、再び日本への核持ち込みの可否が一つの焦点となろうとしているが、この問題の一番のポイントは、やはり核使用である。日本への核持ち込みがなければ、日本防衛のために核兵器を使うという核抑止はOKなのか、そこが問われているのだ。

 ここは、「核抑止なき日米安保」「核抑止なき専守防衛」を打ち出し、本格的にみずからの防衛政策を鍛えるべき時期ではないか。それを掲げて野党との政策協議に積極的な提案をしていくべきではないか。

 これを論じると思い出すのは、ニュージーランドの非核政策である。核持ち込みを拒否するところからはじまって、「核なきアメリカとの同盟」という考え方を打ち出すことになり、次第に同盟そのものが機能しなくなった。ニュージーランドは南太平洋非核地帯条約に入っており、オーストラリアも含めたアメリカとの軍事同盟の名前は残っているが、ニュージーランドの加盟は有名無実になっている。

 もちろん、目の前に中国があり、北朝鮮があり、ニュージーランドと何もかも同じで行くことには、世論の動きは微妙であろう。しかし、挑戦しがいのある課題であることは確かだ。こうして自前の防衛戦略を持つことができれば、アメリカとの関係で卑屈になることもなくなり、地位協定の改定や思いやり予算の抜本的な見直しなども視野に入ってくるだろう。

 1998年、この連載で何回もふれたけど、政策が真逆な政党間の連合政権構想論が不破さんによって出され、2000年に自衛隊活用論が提唱されることにより、安全保障分野でもそういう野党間の政策協議の土台が共産党の側から生まれることになった。政策協議を積み重ねて政権協議につなげるという可能性があった。

 しかし、その共産党が自衛隊活用論をすぐに封印することにより、その後、十数年にわたって足踏みが続いたわけだ。十数年前にちゃんと対応できていれば、現在、野党間の政権問題がこれほどこじれることはなかっただろう。現在、政権政党をめざすなら、最後のチャンスとでも言うべき時だ。これに失敗したら、共産党は、国会にも代表議席を持つ平和主義の市民運動団体のような存在として、今後は生きながらえることになるだろう。支持者の多くは、共産党が現実的になるより、その道を選びたいのかもしれないけれど。

 ということで、明日、この連載のタイトルで、人前で講演してくる。共産党関係者も何十名も来るみたいで、緊張しちゃうな。よく議論してこなくちゃ。(了)
 

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