「現実主義者の平和論」再読

2018年3月22日

 必要があって、高坂正堯さん(故人)の「現実主義者の平和論」を再読した。『海洋国家日本の構想』(中公クラシック)に収録されている。

 高坂さんと言えば、保守派の国際政治学者ということで、左派には嫌われている。テレビにもよく登場し、左派に対する批判を展開していたので、私も何も読まないまま嫌っていた時期が長かった。

 しかし、いつだったか、氏の『国際政治』(中公新書)を読む機会があり、認識を改めることになる。自分で「現実主義者」を名乗るわけだから、もちろん現実主義的に国際政治を分析しているのだが、ただの現実追随でないものを感じたのである。

 そこで何年か前、「現実主義者の平和論」を初めて読んだのだ。いや感激した。どういうことが書かれていたか。引用をしてしまう。

 「中立論が日本の外交論議にもっとも寄与しうる点は、外交における理念の重要性を強調し、それによって、価値の問題を国際政治に導入したことにある」
 「国家が追求すべき価値の問題を考慮しないならば、現実主義は現実追随主義に陥るか、もしくはシニシズムに堕する危険がある」
 「こう考えてきた場合、日本が追求すべき価値が憲法第九条に規定された絶対平和のそれであることは疑いない。私は、憲法第九条の非武装条項を、このような価値の次元で受けとめる」
 「憲法第九条は、国際社会において日本の追求すべき基本的価値を定めたものと解釈されるべきものと思う」
 「問題は、いかにわれわれが軍備なき絶対平和を欲しようとも、そこにすぐに到達することはできないということである」
 「重要なことは、この権力政治的な平和から、より安定し日本の価値がより生かされるような平和に、いかにスムースに移行していくかということなのである」

 この思考過程って、いまの私とほとんど同じだ。高坂さんは、そういう考え方の上に、自衛隊と日米安保のもとで、どうやって平和に近づいていくかという議論を展開するわけである。

 そこで展開される議論には賛同できないものも多くて、だから左派、護憲派はカチンとくる部分があったのだろう。けれども、その思考過程は大事なものだと感じる。

 こうして高坂さん自身は、非武装中立論を唱える著名な研究者にも議論を呼びかけたそうだが、相手にされなかった。それでも、この論文が書かれた60年代初めから90年頃まで、護憲派であることを隠さなかった。

 その高坂さんが改憲を公言したのは、湾岸戦争に際して、侵略したイラクをクウェートから排除する軍事行動を護憲派の多くが批判したからだという。60年代、アメリカに侵略されたベトナムの人びとが武力で抵抗していた時、護憲派はベトナム側の武力を支持していたのだ。それなのに月日が経って、侵略されても武力で排除してはならないというのが護憲派ということになってしまっていた。高坂さんは忸怩たる思いだったんだろうね。

 改憲が日本政治の日程にのぼる現在(政局的には不透明さが増すけれど)、これをどう捉えるか。高坂さんの話に耳を貸さなかった誤りを再び繰り返すようでは、護憲から脱落する人があらたに生まれてしまうだろう。
 

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