法治国家の崩壊

2018年3月20日

 「政治主導」という政治と官僚の関係のあり方は正しいのだと思う。「忖度」もあっていい。

 だって、例えばだけど、消費税の引き上げに反対する野党の政権ができたとして、政権は、引き上げをしつこく求める財務官僚がいるとすれば、行政の主流から外そうとするだろう。引き上げでまとまっていた財務官僚の中に、政権を忖度して、引き上げ反対で態度を変える人が出てきてもおかしくない。そういう人を政権が優遇することになるのも当然のような気がする。

 現在の事態は、しかし、そういうものとは異質なところに問題があるのではないか。政治主導や忖度一般というものではないということだ。

 それは何かというと、前もどこかで書いたが、法令違反が平気でやられていることである。いくら政府が主導するといっても、官僚が忖度するといっても、許されるのは法令の範囲内のことなのに、そこに止める慎みを失ったのが現在の政治と官僚の姿だと思える。

 前川さんの授業に対する対応もそうだ。教育の中立性という教育法規の大原則に違反してでも、政治の側は政治主導を貫くのは当然だと考えている。法律を熟知しているはずの官僚の側は、法律違反だと承知しながら政治の要請に応え、自分たちの独自の判断でやったとして政治を守ろうとする。

 森友問題の現在の局面も同じこと。個別の国有地の売却などで、政治の側の働きかけなんて、ずっと存在していたことだ。道義的には問題だが、たとえ昭恵さんが「前に進めてほしい」と発言したところで(それが文書に残っていたところで)、それが売却を決めるいろいろな要因の一つであるなら、「法令の範囲内」「最後は法令にもとづいて決めた」で済ませられてきたはずの問題だった。

 ところが、「私も妻もまったく関係ない」という安倍さんの発言をきっかけにして、昭恵さんの関与が痕跡も残しておけないということになったのだろう。その結果、法律に違反してでも文書を改ざんすることが求められることになる。安倍さんが指示したとは思わないけれど、政治家からの求めというのは法律違反でもやらねばならぬこととという雰囲気が、役所に蔓延しているのではないか。その結果、国家に対して嘘を浮くことになる。

 これは議会制民主主義を裏切るものであるが、同時に、もう法治国家の体をなしていないことを意味する。現在の政治のありようを見ていると、そんな感じがする。大げさかもしれないけれどね。

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