安倍さんの改憲は本気かポーズか

2018年9月3日

 ようやく出張から帰ってきました。明日、こちらで講演しなければならないからですが、台風で無理のようですね。どうなるのかな。

 この間、政権中枢を担った方にもお会いし、改憲の見通しを伺う機会があった。安倍さんは臨時国会に自民党の改憲案を出すと表明しているが、本気で発議、国民投票までやってくると思うかということを聞きたかった。

 ある人は、当然やるだろうと語った。それが安倍さんの存在理由だから、何としてもやってくるというもの。

 別の人は、天皇の代替わり、参議院選挙と続くので、実際にはできないと語った。安倍さんが強気なのは、改憲するというのが安倍さんの存在意義で、それを常に語っていることが支持率を維持するためにも必要だからという解説だった。中枢に近ければ近いほど、こういう見方が多いように思えた。

 私は、このどちらも正しいのだと思う。両方とも、「安倍さんの存在意義」としての改憲を語ったことが共通している。だから、「自分は本気で改憲するのだ」ということを、つねにまわりに見せていくわけだ。

 でも、政権の維持こそが大事であって、政権を投げ出すことにつながるなら、本気は見せ球のままに終わる。しかし、政権の維持ができるとか、政権の維持に不可欠ということになれば、実際に国民投票までやってくるのだと思う。

 これは、アメリカの抑止力に似ているなと思う。抑止力というのは、公式の立場でいうと、「本気でやるぞ」と公言し、実際にやるための体制にあることを相手に見せつけることによって、相手を萎縮させ、実際には戦争にならないようにするというものだ。

 しかし、アメリカの抑止力というのは、いざという時には実際に戦争することで、相手に本気度を分からせるのだ。戦争しないための戦略といいながら、戦争することによってしか、その本気度を分からせることはできない。

 安倍さんの改憲の本気度も、同じようなものではないかなあ。見せ球かもしれないけれど、本気でやっているので、そのまま決め球になるという感じ。見せ球と思っていると足を掬われるけど、決め球だと思っていて対応していると、つねに緊張してしまって疲れがたまり、ふと気づいたら、キャッチャーミットにボールが吸い込まれるという感じ。

 見極めて、気持ちの余裕と、気持ちの張りの両方を操作しながら、がんばらないとね。何を言っているか、分からないだろうけど。

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