『北朝鮮というジレンマ』を書き終える

2018年9月26日

 ようやくです。でも、この仕事でむちゃ忙しかった期間に、2か月弱で書き上げたんですから、上出来でしょう。これを出してくれる出版社の編集者と、別の出版社の編集者だけど北朝鮮問題に造詣の深い方に送り、ご意見を頂くことにしました。

 ああ、とはいえ、一つ書いていない箇所があります。本筋と関係ないところで、「あとがきに代えて──我が体験的北朝鮮論」というところです。ここは、私の北朝鮮論がどうやって形成されてきたかを、まさに体験的に書くものです。

 私の最初の朝鮮半島問題の体験は、小学校6年の社会の授業でした。先生が教科書にある図表を指して、「ここから何が読み取れるか」と聞いたんですね。横軸に戦後のいろいろな出来事が書いてあって、縦軸は日本のGNPがどう増えていったかのグラフでした。

 私は「はい、先生」と言って手を挙げ、「朝鮮戦争の時から日本の経済がグンと伸びています。この戦争が日本の国民の暮らしを良くしてくれたんですね」と答えました。まあ、それは正解だったんですが、まだ何も知らない子どもでした。

 そのあと、朝鮮半島は南北で国が分かれているが、このままでいいかそれとも一緒になったほうがいいかでディベートをすることになり、私は「このままでいい」グループに入って「論陣」を張ったのでした。テレビで韓国の人が日本語をしゃべっているのを聞くと、「わあ、日本語はどんなに知られているんだ」などと、なんだか誇らしげな気持ちになったりしてね。

 高校の頃は、世界史も日本史も好きで、めざしていた大学が論文式の問題を出すところだったので、岩波新書などの歴史書を読みあさりましたから、朝鮮半島問題ではそれなりに理解していたつもりです。ただ、親しい友だちが在日の方とつきあっていたのですが、親にばれて無理矢理仲を引き裂かれた時、何もしてあげられなくて、紙で得た知識が役に立たないという現実を突き刺されたような気持ちでした。

 大学に入ると、朝鮮大学校が近くにあったんですね。それでまだ北朝鮮幻想が左翼にも広く残っている時代で、「チュチェ思想研究会」などもあったんですね。私は入らなかったけれども、講演を聞きに行ったりすると、朝鮮大学校の学生もいたりして、話すこともありました。

 その会話を通じて、違和感がふくらみました。朝鮮半島の北部がどんなに貧しく、寒く、開発がされていないかをすごく強調するんですね。それで少しは感心して話を聞いていると、「そういう遅れた地域だったのに、金日成主席のおかげでこんな立派な国になった」という自慢話になるわけです。「それを言いたいための話だったのか」とがっかりしたことを記憶しています。

 ま、本格的な体験は、大学を卒業してからでした。それはまた別の機会に。

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