請求権問題再論・上

2018年11月1日

 昨日、「国家間で決着しても個人の請求権はなくならないという考え方も当然である」と書いた。同時に、「国家間で請求権問題が決着すると、それで解決済みになるというのは、普通の国際法の考え方である」とも書いた。その両者の関係について質問があったので論じておく。

 まず、1965年の日韓請求権協定を引用する。第二条にこう書いている。

 「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」

 「国民」の財産に関する問題は「完全かつ最終的に解決された」のである。それを国家間で確認したわけである。ここに徴用工の問題も含まれることは、当時の韓国政府も確認している(議事録に残っている)。

 一方、国家が「国民の財産請求権問題は解決された」と条約で規定したからといって、その国民の請求権が消滅するかというと、そうではない。ここには国家と国民の間の複雑な問題が横たわっているけれども、そういう考え方はどんどん強まっているし、65年当時だってそうだった。

 だから、個人の請求権は消滅していない。だからこそ、徴用工は日本で権利を行使し、裁判を起こせたのである。権利がなければ門前払いされていた。韓国内の裁判も同じである。

 ただし、国家は「解決」を確認しているから、裁判を起こした原告を保護することはできない。自国民が権利が侵害されたとして外国で裁判を起こすわけだから、通常なら自国民の立場に立つわけだが(外交保護権)、条約上、そういうことはできない。

 そして、これまでは権利が行使されて、敗訴していたわけである。その過程で韓国政府は、徴用工の権利行使に答える義務があるのは自分だと理解して、つまり日本側からおカネを受け取った韓国政府が責任を負うべきものだと納得して、すでに620億円の支払いをしたのである。

 ということで、請求権問題は決着したといいう考え方と、個人の請求権は消滅していないという考え方は、これまでは無理なく共存してきたわけだ。今回の判決は(日本語で出回っていないので韓国の新聞の日本語版を見るしか材料がないが)、そこに挑戦をしているところに特徴があるし、常識を外れるところがあると思われる。(続)

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