護憲とは社会を変革する立場・1

2013年6月26日

先日、国家公務員の労働組合に招かれ、「日本国憲法と公務労働者の役割」について講演しました。九条のことしか頭にない私には似合わないけど、それなりに考えたことがあったので、そのエッセンスを何回かにわけて書きます。

憲法を「守る」というと「現状維持か」と思われるかもしれないが、そうではない。国民投票がおこなわれ、憲法のもつ意味が議論され、その結果として護憲が選択されるということは、おそらく日本国民がようやく市民革命を成し遂げることを意味するのではないか、と私は感じる。

戦後日本を代表する憲法学者である宮沢俊義は、1946年、いわゆる「8月革命」説を発表した。これは、明治憲法の天皇主権から現行憲法の国民主権への転換を、法的な意味で「革命」と捉える見地である。

実際、国家統治の核心をなす主権の大転換というのは、フランス革命に代表されるように、歴史上、市民革命によって達成されてきた。だから、これほどの大転換について「革命」という言葉を使うことは、意味のある用語法だと思う。

ただしかし、宮沢だとて、これが社会科学的な意味での革命だとは思っていなかったように、日本社会が革命を達成したとは誰も考えていなかった。実態は、憲法という紙のうえでの革命に過ぎなかった。

それを象徴するのが、憲法は変わったのに、他の法律は明治時代のままのものが、ほとんどそのまま受け継がれたことであった。とりわけ、民法が変わらなかったことは、戦後、国民主権という憲法原理との間で衝突することになる。

民法の重要な原理としてあげられるのが、私有財産制と契約自由の原則である。厚生労働省が編纂する『労働基準法』の本などでも、「資本主義社会の法的秩序の根幹をなすものは、私有財産制と契約自由の原則」だとしているが、民法というのは、資本家の自由を擁護する原理と密接不可分のものであった。

たとえば、ここでいう「契約自由の原則」には、当然のこととして労働契約の自由も含まれる。契約が自由だということは、労働者が退職するのも自由だが、経営者が解雇するのも自由だということだ。だから民法は、雇用契約はいつでも解約通告できることを定めているのである。ここには、資本家も労働者も対等平等な個人であるという、現実をゆがめた認識が背景にある。

この結果、戦後すぐの日本では、解雇などやり放題であった。民法で自由だと書いているのだから、当然だった。裁判をしても、「解雇は……契約当事者の自由に行使しうる権利である」という判決が下されていたのである。(続)

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