護憲とは社会を変革する立場・3

2013年6月28日

同じような構図は、公害問題にも見られた。60年代、イタイイタイ病や水俣病など、多くに人を死に至らせる公害が発生し、67年、公害対策基本法がつくられたが、それは「経済との調和が図られるようにする」という範囲でしか対策はとらないとするものであった。

これも、初回で紹介したように、資本主義が私有財産制を基本原理としていることの反映であった。私有財産制の根幹である企業活動の自由を保障することが、国家の責務だったのである。

しかし、公害被害者の被った被害は、そういう原理を許さなかった。命をかけた闘争のなかで、71年、新潟水俣病訴訟において、以下のような判決が下されるのである。

「最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害がおよぶおそれのあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止までが要請されることもあると解する。……国民の最も基本的な権利ともいうべき生命、健康を犠牲にしてまで企業の利益を保護しなければならない理由はない」

こうした到達をふまえ、公害対策基本法の「経済との調和」条項も削除されることになる。市民運動が資本主義の原理にくさびをいれた闘いであった。

解雇問題であれ公害問題であれ、そのような変革をなしとげた力は、市民の闘いであった。同時に、それを支えたのが、いまの判決のなかにも示されているが、日本国憲法で規定された基本的人権の原理であったといえる。

10年以上前、福岡の弁護士を前に講演したことがあり、そこで解雇規制をめぐる問題についてお話しした。講演のあと、高齢の弁護士さんが、手を挙げて次のようなお話をされた。

60年代、解雇された労働者の弁護を引き受け、何とかしたいと思って著名な東京の弁護士事務所を訪ね歩いたが、「そんな裁判をやっても負けるだけ」と言われたという。しかし、労働者はたたかうことを決意し、長い裁判闘争を継続する。裁判のなかでは、民法で規定された解雇自由の考え方は、憲法の生存権をはじめ基本的人権に反することをくり返し訴えたそうだ。その結果、過去の判例をくつがえす勝利を収めたのである。

その後、そういう判決が続き、判例法ともいえるものが形成されることになる。自民党政府のもとで長く解雇規制の立法化はされなかったが、別の形で成果が生まれたのである。

要するに、日本の場合、市民革命の伝統がなく、その影響もあって国家権力の人権に対する考え方も後進的である。その結果、欧州などと異なり、資本主義の原理をくずすようなものが立法化されることに難しさがある。

しかし、日本では、欧州よりもすぐれた人権原理のある憲法が存在している。そのため、憲法に依拠した闘いを進めることによって、保守的な裁判所であっても、意味のある判決を勝ち取る可能性もあるということだ。

ここに、日本のプラス面もマイナス面もあるといえるだろう。このことが、憲法をめぐる現在の闘いの意味を教えてくれている。(続)

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