麻生さんの問題で考えたこと・上

2013年8月5日

この問題はいろいろ考えさせるところがある。本筋のことはすでにいろいろ議論されているので、別の角度で論じてみたい。

麻生さんの言葉というのは、もともと論理的ではないので、長ければ長くなるほど意味が通じなくなってくる。いつものことだ。

今回の発言も、いろいろな要素があって、何が言いたいのか、伝わりにくい。ところがどういうわけか、今回の発言では、ナチスの手口に学んで日本でも改憲をしようという論理の筋が一貫しているので、そこを申し開きするのが難しい。論理的でない人が、そこだけ論理的なのだ。

そして、その論理的な部分は、身内の会合で気が緩んでいたからとはいえ、どうやっても弁解できない内容である。これでは、「撤回」しても納得してもらえるわけもなく、いくら自民党が多数を背景に押し切ろうとしても、簡単には決着しないだろう。

いや、それこそ前回の記事に書いた慰安婦像前での「おわびと反省」のように、安倍首相本人が別の歴史観に立っているのだと身をもって示さない限り、安倍政権そのものの問題になる。麻生さんだけの問題として決着させるのか、政権全体の問題にしてしまうのか、岐路に立たされた安倍さんの判断と行動が試されていると思う。

とはいえ、今度の麻生発言が、麻生さんを含む自民党の右派、タカ派の方々の本音かというと、私はそうは思わない。だって、誰もが「これは間違いなくナチスの手法を賛美した発言だ」と受け取れるような、そんな論理的な発言を、麻生さんにできるわけがない。論理的だからこそ、どこかおかしいのだ。

ま、それは半分だけ冗談だが、実際、これまで長年国会での議論などを聞いてきたが、どんなに右派の方であっても、ナチスを肯定する議論を口にするのは耳にしたことがない。というか、かれらも、ナチスを否定するということで、それなりに一貫してきたというのが私の実感である。

ただ、その否定の仕方は、自民党流ではある。私の記憶では、ナチスに対する認識が単独で問題になったことはない。いつも日本の戦前の過去との比較においてであった。

どういうことかというと、第二次大戦の敗戦国である日本、ドイツ、イタリアのことが持ち出され、国連憲章でそれら「旧敵国」が「侵略政策」をとったことが明記されていることが指摘されたりするわけだ。革新派の議員が、日本のやったことは過去を反省したドイツなどと同じだと指摘し、日本政府に反省を求めるのである。

その際、右派・タカ派の議員は、ナチスがひどいことをやったことを大いに強調しつつ、日本はそれほどまでにひどくないことを主張し、同列に置くなと反論するのである。そういう文脈でナチスの評価は何回も出てきた。ナチスも日本もひどくないと発言した人はいない。

しかし、そういう場で実際に議論されるのは、「侵略」問題ではない。ホロコーストである。ひとつの民族を抹殺するなどということは、日本は考えてもいなかったし、やってもいなかったというわけである。

この問題をどう考えるべきか。まずそのことだ。(続)

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