『終わらざる夏』に思うこと

2013年8月28日

 昨日、名古屋で講演したことで、いろいろ考えたことがあるが、それは後日。来月28日、日本ユーラシア協会が、東郷和彦元外務省欧亜局長などを迎え、北方領土問題でシンポジウムを開く。それに「識者」(笑)として文書発言を出してほしいと依頼されたので、このタイトルで寄稿した。以下の通り。

 北方領土(千島)問題に対する私の考え方は、拙著『これならわかる日本の領土紛争』(大月書店、2011年)に書いた通りです。以下のように整理することができるでしょう。

──平和的外交的手段によって日本領土となっていた千島を戦争によって奪ったスターリンの行為は許されるものではない。その違法性は現在もなお強く批判されるべき性格のものである。
──ソ連による占領後、実効支配が60余年に及んでいる現実は重みがある。また、弱点を抱えていたとはいえ、日露間で外交交渉が行われており、その到達を無視して今後の外交を展開することも現実的ではない。
──以上の点をふまえ、いわゆる「二島(歯舞・色丹)+アルファ」で解決すべきではないか。その際、かつて択捉・国後に在住していた日本人、現在住んでいるロシア人の人権を尊重する方式が考慮されるべきである。

 それ以降、私の考え方に変化はありません。停滞する交渉を打開するには、上記のうち最初の違法性問題を、ロシアの人びとの拒否感をつよめる形ではなく、逆にその心を揺さぶるように提起するやり方が必要だとは思うものの、それを見いだすだけの勉強をしてこなかったというのが正直なところです。

 ところが最近、刺激的な本に出会いました。浅田次郎の『終わらざる夏』(集英社文庫、上中下巻)です。これは、占守島攻防戦を主題にした小説です。しかし、たかが小説というなかれ、千島問題を深く考えさせるものとなっています。

 まず、占守島というものを身近にさせてくれます。南千島は日本人が住んでいたので、それだけで身近に感じるのですが、北千島についていうと、私たちの(少なくとも私の)認識は、ソ連によって違法に奪われたという社会科学的認識にとどまっているのです。浅田はそれに対して、千島樺太交換条約の後、占守島に定住しようとがんばった日本人の姿とか、島に咲き誇る色とりどりの花などを描き、美しい島が奪われたことを実感させてくれます。そういう感性的な捉え方も、違法性を主張しつづける強固さを培ううえで、大事なことだと思います。

 さらに浅田は、占守島攻防戦をリアルな経過を含めて描くことによって、この戦争の違法性を浮き彫りにするのです。満州におけるソ連軍との戦争のように、ただ日ソ中立条約を破って攻め入った(それが終戦後も続いた)というのではなく、日本がポツダム宣言を受諾した後に、しかも占守島の日本軍も武装解除を準備していたときに、ソ連軍が押し寄せてきたわけです。

 しかも、この本の大事なことは、その戦争を、ソ連の兵士の目からも見ていることです。スターリンによって肉親を殺害されたコサック出身の兵士が登場するのです。その兵士は、スターリンを憎みつつも、大祖国戦争の場合は栄誉を胸に戦争に身を投じたのだけれど、ようやくドイツとの戦争が終わり、妻の待つふるさとへ帰れると思ったら、理由も分からないまま、降伏した日本との戦争に投入され、死んでいくのです。その不条理というものがリアルに描かれていて迫ってきます。

 おそらく、スターリンの違法を批判する場合も、ロシアの人びとが共感する視点というものが大事なのではないでしょうか。そのようなことを感じさせてくれた小説でした。領土問題に取り組む意欲を再びかき立ててくれたことに感謝します。(了)

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